エイサーの始まりは?

エイサーは、沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能。
お盆の時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせて踊りながら地区の道を練り歩きます。踊りを通して、五穀豊穣、大漁追福、商売繁盛、家内安全、無病息災、安寧長寿、夫婦円満、子孫繁栄、祖先崇拝、招福祈願、厄除祈念などなど、さまざまなことへのつながりへの縁になるため大事に踊られています。
近年では太鼓を持つスタイルが多くなり、踊り自体を鑑賞するために各地域のエイサーを集めたイベントも開催されています。エイサーイベントにはたくさんの人が訪れ、迫力あるエイサーを楽しんでいる人気のイベント。

エイサーの始まりには諸説あり、詳しくわかっていないのですが、その一説をご紹介しようと思います。

昔、とってもお金持ちの男がいたのですが、「金は宝」といって、貧乏な人がお金を借りにきても絶対に貸さないで貯えていました。
男は病気にかかり亡くなったのですが、後生にお金を持っていくことは、もちろん出来ませんでした。後生に行ってから「ああどうしよう、わたしのあんなにたくさんのお金は・・・」とお金のことを心配しているのでした。

男の子どもたちは、「私達のお父さんはお金の心配をしているということだが、これはどうしたらいいものだろうか」と有名なお坊さんのところに教えを乞いに行きました。
お坊さんは、「あなたのお父さんは、生きているとき、お金はたくさんあってもケチで、貧乏者に物をあげたりお金を貸すこともしないで自分一人のものだといって貯えていたが、死んでしまうとお金を後生に持っていくことができないといって、それの心配をしているので、7月のお盆の13日、14日、15日の3日間のあいだ、あなたたちが、ご馳走を作り、お酒を準備して村中の青年を集めてもてなしなさい。そして青年たちに太鼓をボンボンさせて、あなたのお父さんが苦労している心をなぐさめてあげ、罪とかをはらしなさい」と言ったのです。

そのときからエイサーが始まったそうなんですが、お坊さんは、「あなたのもうけたお金でこのように御馳走も作り、アシビをさせているので、あなたはお金の心配をしないでください」と3日間お祈りをしました。そうしてお金の形を紙に打って打ち紙を作り、「イチミ(この世)のお金から出してお供えしてあります。打ち紙一枚は一万貫としてお使いになれますから」といって、7月15日に打ち紙を火にあぶりました。

今でもスーコーに打ち紙を燃やすのはそういう理由からなんだそうですよ。