鬼餅を食べる風習になった理由とは・・・

沖縄では、毎年旧暦にあたる12月8日のことを「ムーチー」と言います。そして、月桃の葉に包まれた餅を食べ、厄払い!それではなぜ、このような日ができてしまったのか・・・「鬼餅」ウニムーチーの由来を紹介したいと思います。

遥か昔、首里金城に妹と兄が住んでいました。しかし、ひょんなことから兄だけ大里村に移り住むことに。兄は、夜な夜な村を襲いにわとりや山羊、牛を盗み、時には人間までも食べる「大里鬼」になってしまいました。

あくる日、妹が兄の住んでいる洞窟の前まで訪れて「兄さん、妹です」と大声で叫びます。しかし、兄はいなかったようで返事がありませんでした。そこで妹は、洞窟の中へ入っていきます。奥へ行くにつれて、酷い悪臭が・・・。その臭いの原因は牛や羊の骨や残骸!少し怖くなってきたので、帰ろうと引き返していると、ちょうど、兄と鉢合わせしてしまいました。見ると、兄は筋肉隆々で、口は裂け牙がむき出し目は爛々と輝き、赤黒い毛に覆われた鬼の姿に・・・。

妹は反射的に逃げようとしましたが、「妹か、何故逃げるのだ。一緒に肉でも食べよう」と鬼となった兄に襟元を捕まえられ
、洞窟の中のほうへ引っ張られました。妹はとっさに、「兄さん、それではちょっと待って下さい外で用をたしてきますから」と言いましたが、鬼は逃げられるのを警戒して  「ここでやれ」と。しかし、妹はいくら兄妹でも兄の前ではできないというので納得し、鬼はその代わりに妹の手首に縄紐(なわひも)を結びつけました。妹はすぐ外に出て、用をたすふりをして縄紐をほどき、その縄  紐を木に縛り、一生懸命逃げます。洞窟の中にいた鬼は、「遅いな。何しているのかなあ。」と外にでました。
縄紐が解き、妹が逃げていることがわかると、「おい、こらー、待て!」と叫びながら妹の後を追いかけましたが妹はすでに逃げていません。

数日後、鬼になってしまっている兄は、妹を食べてやろうと、首里金城の妹の家へやってきました。その一方で、妹は鬼を退治してやろうと、餅の中に鉄を入れ準備しています。

「お兄さん、どうぞ召し上がって下さい!」

妹は、パクパクと美味しそうに餅を食べているのに、自分のは固く、うまく食べることが出来ません。
鬼は、妹の口の丈夫さにビックリして「お前の口は一体何なんだ!?」と聞いたとたんに、妹は着ている着物をまくり上げて、鬼である兄に襲い掛かります。びっくりした鬼は飛び上がり、足を踏み外して崖から転落してしまい死んでしまいました。

その日がちょうど旧暦の12月8日だったので、沖縄ではその日を厄払いとして“鬼餅”を作って食べるようになったそうな・・・。

星砂の由来

沖縄のお土産店でよく見られる「星の砂」
有名な観光地の八重山諸島、竹富島と西表島などには星の砂ビーチがあり、自分で「星の砂」を探すこともできますよ~

「綺麗な星の砂を見つけると願いごとが叶う」なんて噂も聞いたことが・・・・・
キレイな星の形をしているものはなかなか見つからないので、沖縄の照りつける日差しの下、見つけた時は本当に感動します☆

星の形だけではなく太陽の形のものも!

あ、みなさんご存知ですか?実は「星の砂」は「砂」ではないんです(-ω-)/
「星の砂」の正体は「海藻についた微生物の死骸」なんです!!
・・・・・なんだかロマンチック感ぶち壊し・・・・

でも現実を知っても、かわいいものはかわいい!
キレイなものはキレイです!

そんな「星の砂」に、竹富島に伝わる民話があります。

それは、まだ八重山の島々ができてまもない頃のお話。
天の星の女神さまが、星の子を身ごもりました。
星の子を産むにあたって、「どこか清らかな場所がないでしょうか」と天の神様に相談したところ、
「あの島の沖のサンゴと白砂の美しいところがよかろう」とちょうど現在の竹富島の沖のとても美しい場所を教えてもらいました。

星の女神はさっそくその海で星の赤ん坊を産みました。
ところが、それを知った海の神は「ワシにことわりもなく、こんな所に子供をたくさん産み落としたのは誰だ!せっかくのワシのお気に入りの海が台無しではないか」と怒り出してしまいました。
怒った海の神は、海蛇を呼び「よいか、ここに産み落とされているものを全部飲み込んでしまえ!一つも残すな」と命じました。
海蛇は海の神の命令通りに星の子ども達をすべて飲み込んでしまいました。

後には、白い星の子どもの小さな骨だけが、砂に混じって残されました。
それを知った天の神様は、その骨を拾って香炉に入れ、お正月の朝にお香を焚いて星の子ども達の魂を天に送るように人間たちに言いつけました。
そのおかげで、子ども達の魂は星となり、天の星の女神さまの星の周りで光り輝くようになったと言い伝えられています。

現在でも、竹富島では年に一度御嶽の祭りの時になると、必ず香炉の星砂を入れ替えているそうです。

「星の砂」のもう一つの正体は「星の子」だったんですね~( ノД`)
それにしても、天の神が海の神にちゃんと連絡しといてくれてたらな~
神様にもいろいろあるのかしら??

「星の砂」にまつわる悲しい民話でした。

これからお土産店で見た時はこの話を思い出して、悲しくなってしまいますね・・・・

 

沖縄ツアー 夏休み

http://www.jtrip.co.jp/magazine/okinawa/

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浜千鳥女房

沖縄には、昔から伝わる“民話”がたくさんあります。

そんな中でも今回紹介する話は「浜千鳥女房」

昔、沖縄県のとある海辺に若い夫婦が住んでいました。女房は、毎日漁船から魚を受け取って、それを市場で売る仕事をし、夫は、家の家事に専念するという生活をしていたそうな。

「仕事が夫婦逆なのでは!??」そう思った方も多いですよね。。。その当時沖縄の女子はよく働いていたので、きっとこの女房もそうだったのかもしれません。

そんな毎日を過ごしていたある日、いつものように市場へ出かけていった女房の帰りが遅いというので、心配になった夫が捜しに行きました。しかし市場へ行っても、妻の姿は見えません。浜辺にもいない・・・。
「女房を見ませんでしたか?」とその場にいる人に聞いてみても、誰もその姿を見た者はいませんでした。

その後も妻を捜して、歩いていると小さな鳥が干してある網に絡まって動けなくなっているのを見つけたので、夫はその鳥を網から外して逃がしてやったんだそう。

「もしかしたらもう家に帰っているかも・・・!!」と帰宅してもやはり妻の姿がない・・・寝ずに待っていましたが、とうとうその日、女房は帰ってきませんでした。

それから何日かたったある日、夫が縁側に座ってぼんやり外を眺めていたら、今まで見たことのないような綺麗な女性が、敷地内の井戸の前まで来て、洗濯をし始めたんだそうな。「何処の人だろう・・・」と疑問に思いながらも、何も聞くこともなく過ごしていたら、時々訪れては洗濯をするようになりました。

ある日、夫が仕事から帰ると、家の台所でその女がご飯の支度をしていたので「ここは私の家なのですが、あなたは何処の人なのですか?」と尋ねると「私は、あなたへの恩返しに食事の支度をしておりました」と・・・。その言葉に夫は、洗濯の際に井戸を使わせてもらったお礼かな・・・!と思っていました。

夜ご飯を食べ終えた後、まだ女の名前を知らなかった夫は「まだ、あなたの名前を教えてもらっていませんが」と聞くと女は「私は、千鳥と言います。ですがこの名前を誰にも教えないでください」と・・・。それからというもの、千鳥が毎日家に来ては、食事・洗濯・掃除など、家の仕事をこまめにやってくれたそうな。

夫の友人が用事で家に来たある日、女房がいるはずの夫のところに、違う女性がいるものだから「どういうことだ」と尋ねると、つい女性の名前を友人に教えてしまいました。それを聞いていた千鳥は、悲しい顔をしてうつむいたまま・・・。

友人が帰った後、千鳥は「この名前をあなた以外の人に知られてしまったからには、もうここへいることは出来ません。実は私、
浜で網に絡まっていたあの小鳥なのです・・・」というと、綺麗な女からだんだん“浜千鳥”へと姿を変えて「ピーッ」と鳴きながら飛んでいってしまったそうな。

鳥になったおばあさん

皆さん、沖縄には昔から伝わる“民話”がたくさんあるのを知っていますか^^?いーっぱいある中でも今回は「鳥になったおばあさん」という話を紹介したいと思います。

昔々、鉄砲打ちをしていたおじいさんが山へ出かけると、今まで見た事がない金色の鳥が飛んでいました。
“なんて美しい鳥だ・・・もしかすると神様の鳥かもしれない!!”とつい見とれていると、その鳥がおじいさんのそばに来て「どうして私を打たないのですか?鳥を打たなければ、あなたは暮らしていけないのでしょう?」と。

するとおじいさんは、首を振って「わしは、ばあさんと二人暮らしだ。お前一羽をうたなくても、なんとか暮らしていけるよ。それに、お前みたいに美しい鳥を打つなんて、わしには出来ないよ」と言いました。

そうするとその鳥が「そうですか。では、お二人が楽に暮らしていけるようにしてあげますから、これからは鳥やけものをとるのはやめてくださいね」と言った後、まっすぐおじいさんの家の方へと飛んでいきます。

おじいさんは金色の鳥に手を合わせると、自分の家に帰りました。すると不思議な事に、ボロ小屋だった自分の家が立派なお屋敷に変わっていたのです。
「こりゃ、たまげた!」おじいさんがビックリしていると、おばあさんが家の中から出てきて「おじいさん。さっき立派な身なりの人がやって来て、あっという間に家を屋敷に変えてくれたんです。おまけに米も着物もお金も、どっさりと運んでくれたのです。もう、何が何やら・・・」

そこでおじいさんは、さっき山で会った金色の鳥の話をしてあげました。
「するとこれは、山の神さまのおめぐみかもしれませんね。おじいさん、これからはもう鳥やけものをうつのはやめてくださいね」
「ああ、もう鉄砲打ちはやめだ。これからは二人で、のんびり暮らそう」
おじいさんは鉄砲打ちをやめて、おばあさんと二人で静かに暮らしました。

さて、働かなくても暮らしていけるようになった二人は、何をして時間をつぶせばよいのかわかりません。
ある日、おばあさんがおじいさんに言いました。
「ああ、たいくつで死にそう。もしも鳥みたいに空を飛ぶ事が出来たら、どんなに楽しいでしょうね。おじいさん、
一度でいいから空を飛べるようにと、金色の鳥にたのんできてくれませんか」
「空をか・・?それは楽しそうだ。よし、山へ行って金色の鳥を探してみよう」
 
おじいさんが山に行くと、金色の鳥はすぐに見つかりました。
「金色の鳥さん。おかげで、おだやかな毎日を過ごしているよ。ところで、おばあさんが一度でいいから空を飛びたいと言っているのだが、願いを叶えてやってもらえないだろうか?」
「わかりました。では、すぐ飛べるようにしてあげましょう」
そう言って金色の鳥は、おじいさんの家の方へ飛んで行きました。

さて、おじいさんが家に戻るとどうでしょう。おばあさんが烏になって、屋根の上に止まっているではありませんか。
鳥になったおばあさんが、おじいさんに言いました。
「おじいさん、さっき立派な身なりの人がやって来て、わたしを鳥にしてしまったんですよ。いくら空を飛びたいと言っても、鳥になるのはごめんです。早く金色の鳥にお願いして、元の人間にもどしてください」
おじいさんは慌てて山へ戻り、金色の鳥を探しましたが、その鳥は二度と姿を現しませんでした。

その後、おじいさんは仕方なく鳥になったおばあさんと暮らしたそうです。

沖縄の民話 「ままこ伝説」②

沖縄県宮古島市の下地島西岸にある「通り池」。直径、水深とも50m級の大きな円形の池が2つ並んでおり、「下地島の通り池」の名でも知られる景勝地です。国の名勝及び天然記念物にも指定されているここは、一見2つの池が並んでいるように見える池ですが、実は地下で繋がっていて海に近い方の池は海と通じています。その特徴から多様な魚介類が生息しており、沖縄旅行者にも人気のダイビングスポットとなっています。

この通り池には、古くから伝わる「継子(ままこ)伝説」という話があります。

あるところに、妻を亡くした男がいました。
男にはまだ小さな息子がいたので、父ひとり子ひとりでは不安だ、と後妻をもらいました。
後妻は男の子を始めは可愛がっていましたが、やがて実子を産みました。
後妻は実子である弟だけを溺愛するようになり、継子であった兄がだんだんとうとましくなってきました。
「他人が生んだこの継子に、この家を継がせてなるのものか!」
後妻の継子への憎しみの思いは、日ごとに増してゆきます。
ある日、後妻は兄弟2人を「散歩に行こう」と誘います。
子ども達は、喜んで母のあとについていきます。行き先は「通り池」でした。
池のほとりで昼食をとったあと、3人はうたた寝をします。
後妻が目を覚ましたとき、日は落ちてあたりは闇に包まれていました。通り池の周囲には人家はなく、月明かりだけが薄ぼんやりと灯っていました。
後妻は、うつ伏せで寝ている兄を抱きあげると、そのまま池に放りこみました。
すぐさま弟を起こそうと身体を揺さぶると、月明かりに照らされたのは、なんと兄でした。
実は、兄は後妻からいつか殺されるのではないかと感じており、後妻が寝ている間に弟の服と自分の服をすり替えていたのです。
後妻は、池に投げ入れたのが実子と知ると、泣き叫び自分も池に飛び込みました。

 

沖縄の民話 「ままこ伝説」①

宮古島にある「下地島の通り池」に、古くから伝わる「継子(ままこ)伝説」という話があることは以前紹介しました。

小さな男の子のいる男のところに後妻として入った女が、やがて実子を産みます。
連れ子の男の子と実子の男の子のふたりは、血は繋がっていないものの、仲良く兄弟として暮らしていました。
始めは連れ子の兄も可愛いがっていた女でしたが、実子が産まれると我が子だけを可愛がり、兄を疎ましく思いはじめます。
ある日、女は「通り池」に兄を落とすことをたくらみ、兄弟を連れて「通り池」に散歩に行きます。
日が落ちて、池のほとりで寝ていた兄弟のうち、女は兄を持ち上げ池に放りこみました。
しかし兄はそのたくらみを感じていて、あらかじめ弟と自分の服をすり替えていたのです。
女は池に投げ入れたのが実子と知ると、泣き叫び自分も池に飛び込みました。

この話には、部分的に少し違う話も伝わっています。

池のほとりに兄弟が寝る前、女は兄には池から遠い所へ、実子へは池のそばで寝るように言いつけます。
兄弟は女の言いつけどおり兄が池から遠い所へ、弟は池のそばへと並んで寝転びます。
女はふたりを置いて海へと降りていきました。
しばらくして、弟が兄に言います。「兄ちゃん、こっちはでこぼこして、背中が痛いよ。」
兄は「そうか、じゃあこっちはでこぼこしてなくて上等だから、兄ちゃんと代われ。」
ふたりは場所を交代します。
夜が深け2人が寝入ったころ、女が戻ってきました。
女は池から遠いところに寝る子を抱き上げ、そのまま池へと放りこみました。
女は残った子を急いで抱いて走り出し、池から遠ざかりました。
手に抱いた子が目を覚まし、女に尋ねました。「母さん、弟は連れて行かなくていいの?」
女はそこで実子を池に投げ入れたことに気づき、狂わんばかりに泣き叫んだ。女は実子の名を呼びながら、自分もそのまま一直線に池に飛び込んだという。

この通り池は、沖縄旅行で来る観光客には人気のダイビングスポットですが、地元の人は誰も近寄らない場所だそうです。水面から地上まで10mもの絶壁で囲まれており、誤って池に落ちたなら自力で這い上がるのはほぼ不可能と言われています。
自然の造形美を感じさせる場所でありながら、自殺の名所としての側面を持っています。
「継子伝説」は、そういった行為を躊躇させるための造話という説もあります。

 

雨の神さま

「雨の神さま」

 むかしむかし、伊良部島に漁師が住んでいました。漁師が浜辺に行くと、空の方から何やら不思議な声が聞こえてきました。 「竜宮の神よ、そろそろ雨を降らせなさい」どうやら天の神さまが、竜宮の神さまに命令しているようです。竜宮の神はたちまち風を起こし天に舞いあがらせ、大粒の雨を降らせました。漁師はこの様子を見て、なるほどこうして雨が降るのかと、感心して帰りました。  それから島には何日も雨の降らない日が続きました。困った村人の前に漁師は言いました。
「私が雨を降らせよう」その見返りに宝物を要求したのです 。島の人たちは、わらにもすがる思いで漁師にお願いしました。 漁師は浜辺に出て、天の神さまの真似をしました。「竜宮の神よ、雨を降らせなさい」竜宮の神は早速雨を降らせました。漁師は村人たちから食べ物や宝物をたくさんもらいました。
 しかしこのことは、天の神さまと竜宮の神さまにばれてしまいます。怒った神さまは長い間、雨を降らせませんでした。 困った島の人たちは 、漁師にもう1度雨を降らせるよう頼みました。欲深い漁師は、また浜辺に出て「竜宮の神よ、雨を降らせなさい」と天の神さまの真似をしました。すると、海の中から竜の姿に身を変えた竜宮の神さまが現れ、漁師に襲いかかりました。漁師は命からがらクバマ御嶽に逃げ込みました。そのことがさらなる怒りを買い、竜宮の神は、漁師の住む伊良部元島に、病をはやらせむ村を滅ぼしてしまいました。

 欲深い漁師のとばっちりを受けた島人がかわいそすぎるお話でした。この病はマラリアだということです……。 皆さん、神さまを騙しちゃいけませんよ。それとうますぎる話には要注意ですね。  もともと山も川もない宮古島は、雨水が頼りでした。政策によりマラリアの 有病地に開拓させられたという実話も見え隠れします。

それでは雨乞いの唄をお聞きください

雨乞いのクイチャー

http://www.nhk.or.jp/churauta/database/data/690.html http://www.nhk.or.jp/churauta/database/data/689.html

雨乞いのアーグ (宮古島城辺)

http://www.nhk.or.jp/churauta/database/data/679.html

マムヤの伝説

「マムヤの伝説」

 

むかし保良(ぼら)の村に、大和(やまと)の国から宮古島に逃れてきて住んでいた娘がいました。 平家の落人で名前をマムヤといいました。マムヤはとても美しく、 村中だけでなく、宮古のほかの村にまで知れ渡るほどでした。またはたおりの名人で、すばらしい布をたくさん織ることができました。

 その噂を聞いた島の実力者や宮古の役人が、毎日のようにマムヤの家におしよせてきて、 争うようにして結婚を申し込みました。しかしマムヤは、どんなに宝を積まれて申し込まれても、「私はこのまま一人でいたいのです」と断りました。それでも男立ちがマムヤの家に来るのをやめなかったので、マムヤは人に見つからない所に行こうと決心し、東平安名崎(ひがしへんなざき)で洞穴を見つけて身を隠します。

 ある日のこと、保良地区の一番の権力者だった按司(あんじ)の崎山の坊が釣りをするために東平安名崎に来て、釣り場をさがしていると、洞穴の中から機織りの音が聞こえます 。 マムヤが機を織る音でした。これを知った崎山の坊は、 マムヤをどうしても自分の妻にしたいと思いました。
 毎日のように結婚するように申し込みましたが、マムヤは断りつづけます。そこで崎山の坊は自分と勝負をして、崎山の坊が勝ったら結婚するという約束を取り付けました。崎山の坊が保良から 海岸から拾ったさんご石を並べていき、マムヤには芭蕉の糸をつないで、どちらが先に狩俣に着くことができるか、というものでした。

 

勝負が始まると、崎山の坊は家来や農夫を使って海岸に走らせ、サンゴ石を次々と集めては狩俣に向けてつないでいきます。マムヤは、一生懸命芭蕉の糸をよってつないでいきますが、一人ではとうてい勝つことはできませんでした。負けたマムヤは、約束通り崎山の坊の妻になることになりました。
 しかし結婚してみると、崎山の坊にはすでに奥さんがおり、最初の妻はマムヤにとてもつらくあたりました。 耐えられなくなったマムヤは先の妻と別れてくれるように頼みましたが、「子供のいる最初の妻が大事だ」と言われます。
 失望したマムヤは家を飛び出し、 平安名崎に行きました。「神様、私がこんなに辛い苦しい思いをしたのは私が美しかったからです。どうか、この保良の村の娘にこんな悲しい思いをさせないでください。この保良に美しい娘が生まれないようにしてください。」そう祈ると崖から身をおどらせて、身を投げて死んでしまいました。
それから、平安名崎に近い保良の村には、長い間美しい娘は生まれなくな ったということです。

宮古島の南東に海に突き出した東平安名崎は、宮古島の中心地平良の町から約30キロ先にあります。平安名崎の白い灯台の近くには、今もマムヤのこもった 洞窟とマムヤの墓があります。沖縄旅行の際には訪れてみてはいかがでしょう。

沖縄情報IMA
http://www.okinawainfo.net/miyako/higashih.htm