ヤーマスプナカとは
下地町来間島で、旧暦9月の初未の日から4日間行われる行事。豊穣予祝と子孫繁栄を祈願する。初日と2日目は、神女達が御嶽で夜籠もりをする。3日目の朝、神女達がスマヌヌス(拝所)で神歌を歌った後、スムリャープナカ、ウプヤープナカ、ヤーマスヤープナカという由緒ある家で神歌を歌い、成人のお披露目と1歳の赤ちゃんのお披露目の儀礼を行う。4日目は、3か所のプナカでヤーニバンの儀礼があり、アマグイジャーで棒踊りや舞踊が演じられる。最新版沖縄コンパクト事典(琉球新報社)よりちなみに「ヤー」は家、「マス」は増す、「プナカ」は祭祀の意味。その昔に来間島を救い、繁栄させたと伝えられる3兄弟の家元(長男スムリャーブナカ、次男ウプヤーブナカ、三男ヤーマスシャーブナカ)を中心に祭事が行われます。ではこの伝説の3兄弟のお話を紹介しましょう。
「島建て」
むかし、来間島の村おさ夫婦が女の子を授かりました、娘はすくすくと成長し年頃になりました。娘が外に出ると、強い太陽の光が娘の体に差し込んできました。その日から、娘のお腹はだんだんと大きくなり、ずっと大きいまま月日が流れました。3年と13日がたち、娘は 3個の卵を産みました。両親は卵を畑の枯れ草の中に埋めておくことにしました。
その日から3ヶ月がたったある日のこと、両親は卵が無事かどうかをたしかめにいくと、卵から元気な男の子が3人生まれているではありませんか。両親は孫ができたと喜び家に連れ帰りました。
ところが、男の子たちは、かなりの大食いで1度に何十人分のご飯を食べてしまいます。 そこで村おさは、来間島の向かいの与那覇地区に住む豪族を訪ねました。この一族には子どもがいなかったので、3兄弟は豪族に引き取られ、与那覇に住むようになりました。
ある年、 来間島は大干ばつにおそわれ、食べるものがなくなり、お供え物もできなくなったので、 その年の豊年祭りが行われませんでした。すると島を守っている神様は怒り、島の人々を次々とどこかに隠してしまいました。その話を聞いた与那覇の里親は、3兄弟に来間島に戻って島を救うよう言いました。3人が島に着くと、大きな鍋の中に隠れているおばあさんを見つけました。「化け物がやって来て、村人をみんなさらって行った」 とおばあさんは言います。
3人は化け物を退治しようと隠れていると、大きな赤牛がやってきました。赤牛は強かったのですが、角を折ってしまいます。赤牛は、角から血を流しながら海へ逃げていきました。後を付けると海の中に竜宮城が見えます。兄弟が中に入ると、神様が額から血を流していました。3人は神様に、島を 「もとの賑やかな島になるように “島立て”をさせて欲しい」 とお願いし、神様にちゃんと“豊年祭り”をすることを約束しました。3兄弟はおばあさんの娘を連れて島に帰りました。
娘と3兄弟の長男が結婚して子供をもうけ、その子共達と3兄弟の次男・三男が結婚して家をおこしました。その後来間島には家族が次々と増えていきました。3兄弟は約束通り “豊年祭り”を続けました。いまでも毎年来間島の人々は、豊年祭り「ヤーマスプナカ」をしています。