アカナーと鬼

沖縄の大宜味村に伝わる“アカナーと鬼”についてのお話しです。

アカナーはキジムナーの弟で、月の中に住み、初めてこの世に誕生した人間の幼い子どもに食べ物として月から餅を投げて養ったという妖怪。

昔、アカナーは木の舟を造り鬼は泥舟を造って海に釣りへ。
アカナーにはたくさんの魚が食いつくけど鬼にはさっぱり魚が寄り付かないので、がっかりしていた鬼にアカナーは「舟のともにあんたの小便をひっかけて梶でぶっ叩けば、魚がたくさん寄って来るさ」と言いました。

鬼がその通りしたら、泥舟はこわれみるみるうちに沈んでしまいました。
冗談のつもりだったのに鬼が真に受けてしまったから、このままだと殺されると思ったアカナーは、急いで舟を漕いで陸へと逃げ隠れました。

しばらくするとずぶ濡れの鬼がやって来るから、アカナーは山盛りの唐辛子を持って自分の顔を隠し鬼の側を通り過ぎようとしましたがバレてしまい、鬼が「唐辛子なんか持って何している?」と聞くと、アカナーは「これで顔を洗ったら唐も大和も近くに見えるさ」と答えました。

また真に受けた鬼が唐辛子で顔を洗ったら、顔はぴりぴりしてくしゃみは出るし目は開かなくなったので、その隙にアカナーは逃げ、池のほとりの大木に登り葉の生い茂った木の枝に隠れていました。

そこへ怒鳴り声とともに鬼がやってきて、池の水で焼けただれた目を洗おうとした瞬間、池に写っているアカナーを見つけたのだけれど、目がよく見えていなかったからアカナーが池の中に隠れてると思い、池に入って捕まえようとしました。

鬼が池の中で暴れたものだから池の水は外へあふれあっという間に干上がり、池の中にいたエビや鮒が泥の中で飛び跳ねているのを見た鬼は夢中でエビや鮒を捕まえると、身体中の毛という毛に縛り付け、飾りものの歩く熊手のような姿に。

それを見たアカナーは、我を忘れて笑ってしまい鬼に見つかって追い詰められていくので、「天の神様、塩汲みでも水汲みでも、お言いつけがあれば何でも致します。かわいいと思ってくださるなら鉄の梯子を、かわいいと思われないのでしたら縄の梯子を降ろして下さい。どうかお願いします」と祈りました。

神様はアカナーの願いを聞き入れ鉄の梯子を降ろしたので、鬼はアカナーの真似をして同じように言ってみたけど、鬼には縄の梯子を降ろすのです。
縄の梯子を途中まで登った時に縄が切れ、落ちた鬼は木の枝に当たって死んでしまいました。

それからというもの、鬼の霊が薮蚊となり木の幹に棲むようになり、アカナーは月の住人となって天の神様のために水汲みや塩汲みをするようになったそうな…。

このため、大宜味村では月影はアカナーが桶を担いでいる姿だと言われているそうですよ^^

エイサーの始まりは?

エイサーは、沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能。
お盆の時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせて踊りながら地区の道を練り歩きます。踊りを通して、五穀豊穣、大漁追福、商売繁盛、家内安全、無病息災、安寧長寿、夫婦円満、子孫繁栄、祖先崇拝、招福祈願、厄除祈念などなど、さまざまなことへのつながりへの縁になるため大事に踊られています。
近年では太鼓を持つスタイルが多くなり、踊り自体を鑑賞するために各地域のエイサーを集めたイベントも開催されています。エイサーイベントにはたくさんの人が訪れ、迫力あるエイサーを楽しんでいる人気のイベント。

エイサーの始まりには諸説あり、詳しくわかっていないのですが、その一説をご紹介しようと思います。

昔、とってもお金持ちの男がいたのですが、「金は宝」といって、貧乏な人がお金を借りにきても絶対に貸さないで貯えていました。
男は病気にかかり亡くなったのですが、後生にお金を持っていくことは、もちろん出来ませんでした。後生に行ってから「ああどうしよう、わたしのあんなにたくさんのお金は・・・」とお金のことを心配しているのでした。

男の子どもたちは、「私達のお父さんはお金の心配をしているということだが、これはどうしたらいいものだろうか」と有名なお坊さんのところに教えを乞いに行きました。
お坊さんは、「あなたのお父さんは、生きているとき、お金はたくさんあってもケチで、貧乏者に物をあげたりお金を貸すこともしないで自分一人のものだといって貯えていたが、死んでしまうとお金を後生に持っていくことができないといって、それの心配をしているので、7月のお盆の13日、14日、15日の3日間のあいだ、あなたたちが、ご馳走を作り、お酒を準備して村中の青年を集めてもてなしなさい。そして青年たちに太鼓をボンボンさせて、あなたのお父さんが苦労している心をなぐさめてあげ、罪とかをはらしなさい」と言ったのです。

そのときからエイサーが始まったそうなんですが、お坊さんは、「あなたのもうけたお金でこのように御馳走も作り、アシビをさせているので、あなたはお金の心配をしないでください」と3日間お祈りをしました。そうしてお金の形を紙に打って打ち紙を作り、「イチミ(この世)のお金から出してお供えしてあります。打ち紙一枚は一万貫としてお使いになれますから」といって、7月15日に打ち紙を火にあぶりました。

今でもスーコーに打ち紙を燃やすのはそういう理由からなんだそうですよ。

鬼餅を食べる風習になった理由とは・・・

沖縄では、毎年旧暦にあたる12月8日のことを「ムーチー」と言います。そして、月桃の葉に包まれた餅を食べ、厄払い!それではなぜ、このような日ができてしまったのか・・・「鬼餅」ウニムーチーの由来を紹介したいと思います。

遥か昔、首里金城に妹と兄が住んでいました。しかし、ひょんなことから兄だけ大里村に移り住むことに。兄は、夜な夜な村を襲いにわとりや山羊、牛を盗み、時には人間までも食べる「大里鬼」になってしまいました。

あくる日、妹が兄の住んでいる洞窟の前まで訪れて「兄さん、妹です」と大声で叫びます。しかし、兄はいなかったようで返事がありませんでした。そこで妹は、洞窟の中へ入っていきます。奥へ行くにつれて、酷い悪臭が・・・。その臭いの原因は牛や羊の骨や残骸!少し怖くなってきたので、帰ろうと引き返していると、ちょうど、兄と鉢合わせしてしまいました。見ると、兄は筋肉隆々で、口は裂け牙がむき出し目は爛々と輝き、赤黒い毛に覆われた鬼の姿に・・・。

妹は反射的に逃げようとしましたが、「妹か、何故逃げるのだ。一緒に肉でも食べよう」と鬼となった兄に襟元を捕まえられ
、洞窟の中のほうへ引っ張られました。妹はとっさに、「兄さん、それではちょっと待って下さい外で用をたしてきますから」と言いましたが、鬼は逃げられるのを警戒して  「ここでやれ」と。しかし、妹はいくら兄妹でも兄の前ではできないというので納得し、鬼はその代わりに妹の手首に縄紐(なわひも)を結びつけました。妹はすぐ外に出て、用をたすふりをして縄紐をほどき、その縄  紐を木に縛り、一生懸命逃げます。洞窟の中にいた鬼は、「遅いな。何しているのかなあ。」と外にでました。
縄紐が解き、妹が逃げていることがわかると、「おい、こらー、待て!」と叫びながら妹の後を追いかけましたが妹はすでに逃げていません。

数日後、鬼になってしまっている兄は、妹を食べてやろうと、首里金城の妹の家へやってきました。その一方で、妹は鬼を退治してやろうと、餅の中に鉄を入れ準備しています。

「お兄さん、どうぞ召し上がって下さい!」

妹は、パクパクと美味しそうに餅を食べているのに、自分のは固く、うまく食べることが出来ません。
鬼は、妹の口の丈夫さにビックリして「お前の口は一体何なんだ!?」と聞いたとたんに、妹は着ている着物をまくり上げて、鬼である兄に襲い掛かります。びっくりした鬼は飛び上がり、足を踏み外して崖から転落してしまい死んでしまいました。

その日がちょうど旧暦の12月8日だったので、沖縄ではその日を厄払いとして“鬼餅”を作って食べるようになったそうな・・・。

星砂の由来

沖縄のお土産店でよく見られる「星の砂」
有名な観光地の八重山諸島、竹富島と西表島などには星の砂ビーチがあり、自分で「星の砂」を探すこともできますよ~

「綺麗な星の砂を見つけると願いごとが叶う」なんて噂も聞いたことが・・・・・
キレイな星の形をしているものはなかなか見つからないので、沖縄の照りつける日差しの下、見つけた時は本当に感動します☆

星の形だけではなく太陽の形のものも!

あ、みなさんご存知ですか?実は「星の砂」は「砂」ではないんです(-ω-)/
「星の砂」の正体は「海藻についた微生物の死骸」なんです!!
・・・・・なんだかロマンチック感ぶち壊し・・・・

でも現実を知っても、かわいいものはかわいい!
キレイなものはキレイです!

そんな「星の砂」に、竹富島に伝わる民話があります。

それは、まだ八重山の島々ができてまもない頃のお話。
天の星の女神さまが、星の子を身ごもりました。
星の子を産むにあたって、「どこか清らかな場所がないでしょうか」と天の神様に相談したところ、
「あの島の沖のサンゴと白砂の美しいところがよかろう」とちょうど現在の竹富島の沖のとても美しい場所を教えてもらいました。

星の女神はさっそくその海で星の赤ん坊を産みました。
ところが、それを知った海の神は「ワシにことわりもなく、こんな所に子供をたくさん産み落としたのは誰だ!せっかくのワシのお気に入りの海が台無しではないか」と怒り出してしまいました。
怒った海の神は、海蛇を呼び「よいか、ここに産み落とされているものを全部飲み込んでしまえ!一つも残すな」と命じました。
海蛇は海の神の命令通りに星の子ども達をすべて飲み込んでしまいました。

後には、白い星の子どもの小さな骨だけが、砂に混じって残されました。
それを知った天の神様は、その骨を拾って香炉に入れ、お正月の朝にお香を焚いて星の子ども達の魂を天に送るように人間たちに言いつけました。
そのおかげで、子ども達の魂は星となり、天の星の女神さまの星の周りで光り輝くようになったと言い伝えられています。

現在でも、竹富島では年に一度御嶽の祭りの時になると、必ず香炉の星砂を入れ替えているそうです。

「星の砂」のもう一つの正体は「星の子」だったんですね~( ノД`)
それにしても、天の神が海の神にちゃんと連絡しといてくれてたらな~
神様にもいろいろあるのかしら??

「星の砂」にまつわる悲しい民話でした。

これからお土産店で見た時はこの話を思い出して、悲しくなってしまいますね・・・・

 

沖縄ツアー 夏休み

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ムーチーに関する民話

沖縄県にはたくさんの“民話”があります。一言で“民話”といっても、面白いものから少し怖い話まで色々なジャンルが存在しているのですが・・・!!

今回は「少し怖い方」の民話を紹介したいと思います^^!!

まず始めに皆さん“ムーチー”ってご存知ですか??沖縄県では、旧暦の12月8日(新暦の1月下旬~2月上旬)に“健康長寿”の為に食べられている縁起の良い食べ物^^“鬼餅”とも呼ばれています。このムーチーを自分の年の数だけ食べるといいんですよ~。

そして、ムーチーを炊いた煮汁は「ウネーフカ!!フコーウチ!!」と言いながら家の周りまくといいんだそう!!
「ウネーフカ?フコーウチ?って何の呪文・・・」なんて不思議に思ってしまいますが、皆さんご存知であろう「節分」の時によく
言っている「鬼は外!!福は内!!」と同じなんです。こう考えると変ではないでしょ^^?
更に、ムーチーを包んでいた“カーサ”(サンニンの葉)は、玄関などにつるして鬼が入ってこないようにしています。

しかし、現代ではなかなかそこまでしているご家庭も少なくなってきましたが、男の子が生まれてから初めて迎える旧の12月8日には“初ムーチー”として、盛大にお祝いするんだそう。

さて、本題の民話なのですが、この“ムーチー”に関するお話しがあるので紹介しましょう^^!!
「昔、首里から大里に移り住んだ兄が、夜な夜な鬼になって人畜を襲うことから、その男の妹が「鉄の塊」を入れた餅を食べさせ、弱ったところを崖下に蹴り落として、殺した・・・」ということから、別名「鬼餅」と呼ばれるようになったという。

・・・この程度の“恐い話”ならば、子供にも話しできるレベルなのですが、本来の民話が少し破廉恥なのです!!

妹は美味しそうに餅を食べていたのですが、鬼は口に入れた鉄の塊を食べきれずに困っていました。しかし、妹がとても美味しそうに食べているので、「よく食べれるなぁ~」とビックリしながら見ていました。ふと、膝を立てて食べていた妹の下腹部の「ホーミー」“女性の陰部”から血が出ているのを鬼が見つけ、不思議そうに「お前の下の血を吐いている口は何だ!?」と聞きました。

すると妹は「上の口は餅を食べる口!!下の口は鬼を噛み殺す口!!」と言ったと思うと、すぐさま鬼めがけて襲いに来ました。鬼は、怖くなって逃げ、その際に足を踏み外して崖から落ちて死んでしまった・・・というお話し。
この話は、さすがに子供たちにはあまり適していないものですよね・・・!!

この鬼退治をした日が「旧暦の12月8日」だったので、それからこの日を「厄払いの日」として、生まれた子供の健康を願って
“ムーチー”を食べだしたんだそうですよ~。

“ムーチー”は簡単に作れるので、沖縄県民ではなくても“餅好き”の人は是非!!手作りして食べてみてはいかがでしょうか^^♪

ハブの恩返し

どうしても「こわい」というイメージの強いハブですが、今回はハブに関するお話をご紹介したいと思います。このお話しにでてくるハブはこわくないし、なんかほっこりするようなお話しですよ^^

昔々のことです。
百姓をしている女の人が豆腐を作るために海に水を汲みに行きました。手桶に水を入れそれを頭に乗せて帰る途中、通り道のすぐ側のアダン林からパチパチという音がしてきました。

「なんだろう」と不思議に思い、恐る恐る音のする方を覗き込みました。見るとアダン林の奥で煙が上がり、その煙の下では勢い良くアダンの枯れ葉が激しく燃え上がっています。

「火事だ。今のうちに消さないと大変なことになる」

女の人は海水を入れて重くなった手桶を持って林の中へとかけだしました。
すると燃え上がる炎の囲まれるように、逃げ遅れた大ハブがいました。
「さあ、助けてやるからね。もう噛み付いたりしたらダメだよ」
と頭に乗せていた手桶の中の海水をかけて火を消しました。
念の為にともう一度海から水を汲んで戻ってきた時には大ハブの姿はどこにもありませんでした。

ある日、その女の人は赤ん坊を連れて芋を掘りに畑へと行きました。
作業のために赤ん坊から離れていると泣き出してしまいます。そばまで行って抱いていると泣き止むのですが、作業を始めるとまた泣き出してしまい、作業がはかどらず困ってしまいました。
しかたがないので、赤ん坊が泣き出してもかまわず作業を続けることにしました。
しばらくは泣き続けていた赤ん坊ですが、いつのまにか泣かなくなり、それどころか笑い声が聞こえるではありませんか。

「どうしたの?さっきまであんなに泣いていたのに、今度は一人で機嫌よく笑ったりして」
と言いながら赤ん坊のそばに戻ってみると、赤ん坊のそばには大きなハブがいました。あわててハブを追い払う棒を探したのですが見つかりません。

だけど、赤ん坊は声を出して笑っているので不思議に思いよく見てみると、赤ん坊は大ハブの首のところをギュッとつかんで、大ハブのシッポが目の前で揺れる度に笑っているではありませんか。
赤ん坊に首をつかまれている大ハブこそ火事の時に助けた大ハブだったのです。

大ハブは助けてもらったお礼にと赤ん坊のお守りをしてくれていたのです。
女の人があきれて見ていると、大ハブがじゃべり出しました。

「この前のご恩返しに、アナタにハブに噛まれないおまじないを教えてあげましょう。ハブと会う危険性がある場所では、『潮汲みの子孫だよ。水汲みの子孫だよ。上の道を通ったら、下の道を通れ。下の道を通ったら上の道を通れ。ジュホー、ジュホー』と、三回くり返し言って下さい。そう唱えれば、決して噛まれる事はありませんよ」

と、言い残して去って行きました。それ以来、その女の人はどんなにハブの多い場所でもハブにかまれることはありませんでした。

大ハブも赤ん坊につかまれて以来、首が細くくびれてしまったそうな・・・。

浜千鳥女房

沖縄には、昔から伝わる“民話”がたくさんあります。

そんな中でも今回紹介する話は「浜千鳥女房」

昔、沖縄県のとある海辺に若い夫婦が住んでいました。女房は、毎日漁船から魚を受け取って、それを市場で売る仕事をし、夫は、家の家事に専念するという生活をしていたそうな。

「仕事が夫婦逆なのでは!??」そう思った方も多いですよね。。。その当時沖縄の女子はよく働いていたので、きっとこの女房もそうだったのかもしれません。

そんな毎日を過ごしていたある日、いつものように市場へ出かけていった女房の帰りが遅いというので、心配になった夫が捜しに行きました。しかし市場へ行っても、妻の姿は見えません。浜辺にもいない・・・。
「女房を見ませんでしたか?」とその場にいる人に聞いてみても、誰もその姿を見た者はいませんでした。

その後も妻を捜して、歩いていると小さな鳥が干してある網に絡まって動けなくなっているのを見つけたので、夫はその鳥を網から外して逃がしてやったんだそう。

「もしかしたらもう家に帰っているかも・・・!!」と帰宅してもやはり妻の姿がない・・・寝ずに待っていましたが、とうとうその日、女房は帰ってきませんでした。

それから何日かたったある日、夫が縁側に座ってぼんやり外を眺めていたら、今まで見たことのないような綺麗な女性が、敷地内の井戸の前まで来て、洗濯をし始めたんだそうな。「何処の人だろう・・・」と疑問に思いながらも、何も聞くこともなく過ごしていたら、時々訪れては洗濯をするようになりました。

ある日、夫が仕事から帰ると、家の台所でその女がご飯の支度をしていたので「ここは私の家なのですが、あなたは何処の人なのですか?」と尋ねると「私は、あなたへの恩返しに食事の支度をしておりました」と・・・。その言葉に夫は、洗濯の際に井戸を使わせてもらったお礼かな・・・!と思っていました。

夜ご飯を食べ終えた後、まだ女の名前を知らなかった夫は「まだ、あなたの名前を教えてもらっていませんが」と聞くと女は「私は、千鳥と言います。ですがこの名前を誰にも教えないでください」と・・・。それからというもの、千鳥が毎日家に来ては、食事・洗濯・掃除など、家の仕事をこまめにやってくれたそうな。

夫の友人が用事で家に来たある日、女房がいるはずの夫のところに、違う女性がいるものだから「どういうことだ」と尋ねると、つい女性の名前を友人に教えてしまいました。それを聞いていた千鳥は、悲しい顔をしてうつむいたまま・・・。

友人が帰った後、千鳥は「この名前をあなた以外の人に知られてしまったからには、もうここへいることは出来ません。実は私、
浜で網に絡まっていたあの小鳥なのです・・・」というと、綺麗な女からだんだん“浜千鳥”へと姿を変えて「ピーッ」と鳴きながら飛んでいってしまったそうな。

鳥になったおばあさん

皆さん、沖縄には昔から伝わる“民話”がたくさんあるのを知っていますか^^?いーっぱいある中でも今回は「鳥になったおばあさん」という話を紹介したいと思います。

昔々、鉄砲打ちをしていたおじいさんが山へ出かけると、今まで見た事がない金色の鳥が飛んでいました。
“なんて美しい鳥だ・・・もしかすると神様の鳥かもしれない!!”とつい見とれていると、その鳥がおじいさんのそばに来て「どうして私を打たないのですか?鳥を打たなければ、あなたは暮らしていけないのでしょう?」と。

するとおじいさんは、首を振って「わしは、ばあさんと二人暮らしだ。お前一羽をうたなくても、なんとか暮らしていけるよ。それに、お前みたいに美しい鳥を打つなんて、わしには出来ないよ」と言いました。

そうするとその鳥が「そうですか。では、お二人が楽に暮らしていけるようにしてあげますから、これからは鳥やけものをとるのはやめてくださいね」と言った後、まっすぐおじいさんの家の方へと飛んでいきます。

おじいさんは金色の鳥に手を合わせると、自分の家に帰りました。すると不思議な事に、ボロ小屋だった自分の家が立派なお屋敷に変わっていたのです。
「こりゃ、たまげた!」おじいさんがビックリしていると、おばあさんが家の中から出てきて「おじいさん。さっき立派な身なりの人がやって来て、あっという間に家を屋敷に変えてくれたんです。おまけに米も着物もお金も、どっさりと運んでくれたのです。もう、何が何やら・・・」

そこでおじいさんは、さっき山で会った金色の鳥の話をしてあげました。
「するとこれは、山の神さまのおめぐみかもしれませんね。おじいさん、これからはもう鳥やけものをうつのはやめてくださいね」
「ああ、もう鉄砲打ちはやめだ。これからは二人で、のんびり暮らそう」
おじいさんは鉄砲打ちをやめて、おばあさんと二人で静かに暮らしました。

さて、働かなくても暮らしていけるようになった二人は、何をして時間をつぶせばよいのかわかりません。
ある日、おばあさんがおじいさんに言いました。
「ああ、たいくつで死にそう。もしも鳥みたいに空を飛ぶ事が出来たら、どんなに楽しいでしょうね。おじいさん、
一度でいいから空を飛べるようにと、金色の鳥にたのんできてくれませんか」
「空をか・・?それは楽しそうだ。よし、山へ行って金色の鳥を探してみよう」
 
おじいさんが山に行くと、金色の鳥はすぐに見つかりました。
「金色の鳥さん。おかげで、おだやかな毎日を過ごしているよ。ところで、おばあさんが一度でいいから空を飛びたいと言っているのだが、願いを叶えてやってもらえないだろうか?」
「わかりました。では、すぐ飛べるようにしてあげましょう」
そう言って金色の鳥は、おじいさんの家の方へ飛んで行きました。

さて、おじいさんが家に戻るとどうでしょう。おばあさんが烏になって、屋根の上に止まっているではありませんか。
鳥になったおばあさんが、おじいさんに言いました。
「おじいさん、さっき立派な身なりの人がやって来て、わたしを鳥にしてしまったんですよ。いくら空を飛びたいと言っても、鳥になるのはごめんです。早く金色の鳥にお願いして、元の人間にもどしてください」
おじいさんは慌てて山へ戻り、金色の鳥を探しましたが、その鳥は二度と姿を現しませんでした。

その後、おじいさんは仕方なく鳥になったおばあさんと暮らしたそうです。

真玉橋の人柱

真玉橋は国場川にかかる橋で、1707年より前は木でできた沖縄の橋でした。
首里と豊見城間切を結ぶ重要な道路として利用されていましたが、川の幅が広く大雨が降るたびに橋は流されていました。

1707年の尚貞王の時代にこの木の橋を石の橋に作り変えることになり工事が始まりました。
ところが、ひどい雨が降るとせっかく築いた石の橋脚が壊れてしまい、工事はなかなかはかどらず役人たちは困り果てていました。
そんな時、老婆(ユタ)が役人たちに「この橋の工事には子(ね)年生まれの女で、しかも髪に七色の元結をした女を人柱にしない限り橋は完成しないと神のお告げがあった」と言ったのです。この頃の琉球では神女(ユタ)の神話は絶対的に信じられていました。
そこでさっそく子年生まれで七色の元結をつけた女探しが始まりました。が、探せど探せど条件にあう女は見つかりません。子年生まれの女はたくさんいても七色の元結をつけている女がいないのです。

ふたたび困ってしまった役人たちは、条件にあう女がどこにいるのか占ってもらうためにユタの家に向かいました。
その頃のユタはというと、たくさんの村人達を占ったお礼にともらった虹色に輝く元結で髪を結んで喜んでいました。そこへ役人たちが来たものだからユタは慌てて虹色に輝く元結をほどいたけれど、役人たちは見逃しませんでした。さらにユタの年を調べてみるとユタも子年だったことから、道すがら大きな声で泣きわめくユタを連れていきました。
翌日、ユタは自分が口にした神のお告げどおり、人柱としてたくさんの人たちが見守るなか橋の橋脚の穴に入れられました。その時、集まった人の中に自分の一人娘を見つけたユタは、「どんなことがあっても、人さまより先に口をきくではないよ。」と大きな声で叫びました。これがユタが残した最後の言葉でした。
その後、真玉橋は無事に完成しましたが、ユタの娘はよほどのことがないかぎり口をきかなくなったそうです。

ユタとユタの娘の哀れな姿を見た人々は「むぬみむんや、んまぬ、さちとゆん=(おしゃべり者は、馬の先を歩いて災いをまねく)」と言って用心するようになったそうな。
おしまい。

ユタが人柱となって橋が完成したその後のお話として、役人の息子が人柱になってくれたお礼にとユタの娘を花嫁として迎え入れ、夫婦は仲睦まじく美人で謙虚な奥さんをもらった男は出世したという後日談もあるようです。

真玉橋についても少し紹介しておきましょう。
この時に石造アーチ橋として完成したのですが、1837年に大改修され琉球王国消滅後も残っていました。が、1945年の沖縄戦の時に退却する日本軍によって破壊され、戦後に米軍によって鉄橋が、1963年には琉球政府によってコンクリート橋が架けられていましたが、2002年に再びアーチ橋が架けられました。この工事の時に石造アーチ橋の遺構が見つかり、今も国場川の両岸に保存されています。

真玉橋の人柱もあくまで言い伝えですが、伝えられているということはホントにあったことなのかもしれません。犠牲となった人がいるから安心して通れる橋が完成したということを頭の片隅にでもいれておくほうがいいのかもしれませんね。

犬と猫と宝物

まだ犬と猫が同じように家の中で飼われていた頃のお話。
ある日のこと、ある村の大きな家が泥棒に入られてしまって家の宝物が盗まれてしまいました。 そこで主人は飼っていた犬と猫に「盗まれた宝物を一緒に探してきなさい」と言いました。
一緒に探しに出た犬と猫はやっとの思いで泥棒の家を見つけ出しました。ところが家の門が閉まっていて猫はともかく犬は中に入ることができません。しかし猫が門の傍らから上がって中に入り門の鍵棒をはずして門を開けてくれたことで、犬も中に入ることができたのでまた一緒に宝物を探しだしました。
すると、天井に隠してあった宝物を猫が見つけ出し、口にくわえて犬と一緒に主人の家に帰ろうとしました。しかし、途中にあった川が雨が降ったせいで水位が上がり猫は渡ることができなくなってしまいました。それなのに泳ぎの上手な犬は泳いでひとり先に帰ってしまいました。それを見て猫もなんとか川を渡ろうとしたけれど溺れてしまい宝物を川に落としてしまったのです。
先に帰った犬は、主人に「宝物はあったのか?」と聞かれても「なかった」と答え、「一緒に行った猫はどうした?」と聞かれると「途中で降った雨のせいで川の水が増えて川が渡れず川のそばにいる」と答えました。
その頃の猫は、宝物を落としてしまったことに落ち込み、川のそばで水が引くのを待ってました。すると、下流の方に死んだ魚が浮いているのを見つけました。お腹の空いていた猫がその魚を食べると、魚のお腹の中に落としたはずの宝物が入っているのを見つけました。猫は大喜びで宝物を持って主人の家に帰りました。
猫が家に帰ると、主人に「犬よりずいぶん帰りが遅いが、どうしてこんなに遅くなったんだ?」と聞かれ、川であったことを話し持ち帰った宝物を主人に渡しました。それを聞いた主人は、「猫はいつも私のそばで生活しなさい」と言い、ウソをついた犬には「外で門番をしていなさい」と言いました。
こうしてそれまでは一緒に生活していた犬と猫だけど、犬は外で門番、猫は家の中で生活するようになりました。このことが原因で犬と猫はすっかり仲が悪くなってしまったとさ。
おしまい。

とまあ、犬と猫の仲が悪くなってしまった理由だと言われているお話でした。他にも猫が必死で探し出した宝物を犬が奪い主人に持って帰ったけれど、嘘がばれて犬は怒られ外で門番、猫は可愛がられるようになったからだとか、犬が見つけ出した宝物を猫が奪って持って帰り猫に手柄を取られてしまったからという説もあります。
手柄を取られて怒るのはわかるけど、他は猫をおいて帰ったりウソをついたりしてる犬にも悪いところがあるし、しょうがない気もするけどちょっとかわいそうですよね。ご主人さんもまた泥棒に入られないようになにか理由をつけて門番させたかっただけだったりして・・・。
私だけなのかもしれませんが、犬には庭に小屋があって誰か来たら吠える番犬みたいなイメージがあります。もしかしたらこのお話が関係しているのかもしれないんですね。
またこのお話は、仲がすごく悪いことのたとえで「犬猿の仲」ということわざがありますが、このことを沖縄の方言で「犬(いん)とぅ猫(まやー)」と言われるようになった由来だとも言われています。