アカナーと鬼

沖縄の大宜味村に伝わる“アカナーと鬼”についてのお話しです。

アカナーはキジムナーの弟で、月の中に住み、初めてこの世に誕生した人間の幼い子どもに食べ物として月から餅を投げて養ったという妖怪。

昔、アカナーは木の舟を造り鬼は泥舟を造って海に釣りへ。
アカナーにはたくさんの魚が食いつくけど鬼にはさっぱり魚が寄り付かないので、がっかりしていた鬼にアカナーは「舟のともにあんたの小便をひっかけて梶でぶっ叩けば、魚がたくさん寄って来るさ」と言いました。

鬼がその通りしたら、泥舟はこわれみるみるうちに沈んでしまいました。
冗談のつもりだったのに鬼が真に受けてしまったから、このままだと殺されると思ったアカナーは、急いで舟を漕いで陸へと逃げ隠れました。

しばらくするとずぶ濡れの鬼がやって来るから、アカナーは山盛りの唐辛子を持って自分の顔を隠し鬼の側を通り過ぎようとしましたがバレてしまい、鬼が「唐辛子なんか持って何している?」と聞くと、アカナーは「これで顔を洗ったら唐も大和も近くに見えるさ」と答えました。

また真に受けた鬼が唐辛子で顔を洗ったら、顔はぴりぴりしてくしゃみは出るし目は開かなくなったので、その隙にアカナーは逃げ、池のほとりの大木に登り葉の生い茂った木の枝に隠れていました。

そこへ怒鳴り声とともに鬼がやってきて、池の水で焼けただれた目を洗おうとした瞬間、池に写っているアカナーを見つけたのだけれど、目がよく見えていなかったからアカナーが池の中に隠れてると思い、池に入って捕まえようとしました。

鬼が池の中で暴れたものだから池の水は外へあふれあっという間に干上がり、池の中にいたエビや鮒が泥の中で飛び跳ねているのを見た鬼は夢中でエビや鮒を捕まえると、身体中の毛という毛に縛り付け、飾りものの歩く熊手のような姿に。

それを見たアカナーは、我を忘れて笑ってしまい鬼に見つかって追い詰められていくので、「天の神様、塩汲みでも水汲みでも、お言いつけがあれば何でも致します。かわいいと思ってくださるなら鉄の梯子を、かわいいと思われないのでしたら縄の梯子を降ろして下さい。どうかお願いします」と祈りました。

神様はアカナーの願いを聞き入れ鉄の梯子を降ろしたので、鬼はアカナーの真似をして同じように言ってみたけど、鬼には縄の梯子を降ろすのです。
縄の梯子を途中まで登った時に縄が切れ、落ちた鬼は木の枝に当たって死んでしまいました。

それからというもの、鬼の霊が薮蚊となり木の幹に棲むようになり、アカナーは月の住人となって天の神様のために水汲みや塩汲みをするようになったそうな…。

このため、大宜味村では月影はアカナーが桶を担いでいる姿だと言われているそうですよ^^

エイサーの始まりは?

エイサーは、沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能。
お盆の時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせて踊りながら地区の道を練り歩きます。踊りを通して、五穀豊穣、大漁追福、商売繁盛、家内安全、無病息災、安寧長寿、夫婦円満、子孫繁栄、祖先崇拝、招福祈願、厄除祈念などなど、さまざまなことへのつながりへの縁になるため大事に踊られています。
近年では太鼓を持つスタイルが多くなり、踊り自体を鑑賞するために各地域のエイサーを集めたイベントも開催されています。エイサーイベントにはたくさんの人が訪れ、迫力あるエイサーを楽しんでいる人気のイベント。

エイサーの始まりには諸説あり、詳しくわかっていないのですが、その一説をご紹介しようと思います。

昔、とってもお金持ちの男がいたのですが、「金は宝」といって、貧乏な人がお金を借りにきても絶対に貸さないで貯えていました。
男は病気にかかり亡くなったのですが、後生にお金を持っていくことは、もちろん出来ませんでした。後生に行ってから「ああどうしよう、わたしのあんなにたくさんのお金は・・・」とお金のことを心配しているのでした。

男の子どもたちは、「私達のお父さんはお金の心配をしているということだが、これはどうしたらいいものだろうか」と有名なお坊さんのところに教えを乞いに行きました。
お坊さんは、「あなたのお父さんは、生きているとき、お金はたくさんあってもケチで、貧乏者に物をあげたりお金を貸すこともしないで自分一人のものだといって貯えていたが、死んでしまうとお金を後生に持っていくことができないといって、それの心配をしているので、7月のお盆の13日、14日、15日の3日間のあいだ、あなたたちが、ご馳走を作り、お酒を準備して村中の青年を集めてもてなしなさい。そして青年たちに太鼓をボンボンさせて、あなたのお父さんが苦労している心をなぐさめてあげ、罪とかをはらしなさい」と言ったのです。

そのときからエイサーが始まったそうなんですが、お坊さんは、「あなたのもうけたお金でこのように御馳走も作り、アシビをさせているので、あなたはお金の心配をしないでください」と3日間お祈りをしました。そうしてお金の形を紙に打って打ち紙を作り、「イチミ(この世)のお金から出してお供えしてあります。打ち紙一枚は一万貫としてお使いになれますから」といって、7月15日に打ち紙を火にあぶりました。

今でもスーコーに打ち紙を燃やすのはそういう理由からなんだそうですよ。

ムーチーに関する民話

沖縄県にはたくさんの“民話”があります。一言で“民話”といっても、面白いものから少し怖い話まで色々なジャンルが存在しているのですが・・・!!

今回は「少し怖い方」の民話を紹介したいと思います^^!!

まず始めに皆さん“ムーチー”ってご存知ですか??沖縄県では、旧暦の12月8日(新暦の1月下旬~2月上旬)に“健康長寿”の為に食べられている縁起の良い食べ物^^“鬼餅”とも呼ばれています。このムーチーを自分の年の数だけ食べるといいんですよ~。

そして、ムーチーを炊いた煮汁は「ウネーフカ!!フコーウチ!!」と言いながら家の周りまくといいんだそう!!
「ウネーフカ?フコーウチ?って何の呪文・・・」なんて不思議に思ってしまいますが、皆さんご存知であろう「節分」の時によく
言っている「鬼は外!!福は内!!」と同じなんです。こう考えると変ではないでしょ^^?
更に、ムーチーを包んでいた“カーサ”(サンニンの葉)は、玄関などにつるして鬼が入ってこないようにしています。

しかし、現代ではなかなかそこまでしているご家庭も少なくなってきましたが、男の子が生まれてから初めて迎える旧の12月8日には“初ムーチー”として、盛大にお祝いするんだそう。

さて、本題の民話なのですが、この“ムーチー”に関するお話しがあるので紹介しましょう^^!!
「昔、首里から大里に移り住んだ兄が、夜な夜な鬼になって人畜を襲うことから、その男の妹が「鉄の塊」を入れた餅を食べさせ、弱ったところを崖下に蹴り落として、殺した・・・」ということから、別名「鬼餅」と呼ばれるようになったという。

・・・この程度の“恐い話”ならば、子供にも話しできるレベルなのですが、本来の民話が少し破廉恥なのです!!

妹は美味しそうに餅を食べていたのですが、鬼は口に入れた鉄の塊を食べきれずに困っていました。しかし、妹がとても美味しそうに食べているので、「よく食べれるなぁ~」とビックリしながら見ていました。ふと、膝を立てて食べていた妹の下腹部の「ホーミー」“女性の陰部”から血が出ているのを鬼が見つけ、不思議そうに「お前の下の血を吐いている口は何だ!?」と聞きました。

すると妹は「上の口は餅を食べる口!!下の口は鬼を噛み殺す口!!」と言ったと思うと、すぐさま鬼めがけて襲いに来ました。鬼は、怖くなって逃げ、その際に足を踏み外して崖から落ちて死んでしまった・・・というお話し。
この話は、さすがに子供たちにはあまり適していないものですよね・・・!!

この鬼退治をした日が「旧暦の12月8日」だったので、それからこの日を「厄払いの日」として、生まれた子供の健康を願って
“ムーチー”を食べだしたんだそうですよ~。

“ムーチー”は簡単に作れるので、沖縄県民ではなくても“餅好き”の人は是非!!手作りして食べてみてはいかがでしょうか^^♪

真玉橋の人柱

真玉橋は国場川にかかる橋で、1707年より前は木でできた沖縄の橋でした。
首里と豊見城間切を結ぶ重要な道路として利用されていましたが、川の幅が広く大雨が降るたびに橋は流されていました。

1707年の尚貞王の時代にこの木の橋を石の橋に作り変えることになり工事が始まりました。
ところが、ひどい雨が降るとせっかく築いた石の橋脚が壊れてしまい、工事はなかなかはかどらず役人たちは困り果てていました。
そんな時、老婆(ユタ)が役人たちに「この橋の工事には子(ね)年生まれの女で、しかも髪に七色の元結をした女を人柱にしない限り橋は完成しないと神のお告げがあった」と言ったのです。この頃の琉球では神女(ユタ)の神話は絶対的に信じられていました。
そこでさっそく子年生まれで七色の元結をつけた女探しが始まりました。が、探せど探せど条件にあう女は見つかりません。子年生まれの女はたくさんいても七色の元結をつけている女がいないのです。

ふたたび困ってしまった役人たちは、条件にあう女がどこにいるのか占ってもらうためにユタの家に向かいました。
その頃のユタはというと、たくさんの村人達を占ったお礼にともらった虹色に輝く元結で髪を結んで喜んでいました。そこへ役人たちが来たものだからユタは慌てて虹色に輝く元結をほどいたけれど、役人たちは見逃しませんでした。さらにユタの年を調べてみるとユタも子年だったことから、道すがら大きな声で泣きわめくユタを連れていきました。
翌日、ユタは自分が口にした神のお告げどおり、人柱としてたくさんの人たちが見守るなか橋の橋脚の穴に入れられました。その時、集まった人の中に自分の一人娘を見つけたユタは、「どんなことがあっても、人さまより先に口をきくではないよ。」と大きな声で叫びました。これがユタが残した最後の言葉でした。
その後、真玉橋は無事に完成しましたが、ユタの娘はよほどのことがないかぎり口をきかなくなったそうです。

ユタとユタの娘の哀れな姿を見た人々は「むぬみむんや、んまぬ、さちとゆん=(おしゃべり者は、馬の先を歩いて災いをまねく)」と言って用心するようになったそうな。
おしまい。

ユタが人柱となって橋が完成したその後のお話として、役人の息子が人柱になってくれたお礼にとユタの娘を花嫁として迎え入れ、夫婦は仲睦まじく美人で謙虚な奥さんをもらった男は出世したという後日談もあるようです。

真玉橋についても少し紹介しておきましょう。
この時に石造アーチ橋として完成したのですが、1837年に大改修され琉球王国消滅後も残っていました。が、1945年の沖縄戦の時に退却する日本軍によって破壊され、戦後に米軍によって鉄橋が、1963年には琉球政府によってコンクリート橋が架けられていましたが、2002年に再びアーチ橋が架けられました。この工事の時に石造アーチ橋の遺構が見つかり、今も国場川の両岸に保存されています。

真玉橋の人柱もあくまで言い伝えですが、伝えられているということはホントにあったことなのかもしれません。犠牲となった人がいるから安心して通れる橋が完成したということを頭の片隅にでもいれておくほうがいいのかもしれませんね。

犬と猫と宝物

まだ犬と猫が同じように家の中で飼われていた頃のお話。
ある日のこと、ある村の大きな家が泥棒に入られてしまって家の宝物が盗まれてしまいました。 そこで主人は飼っていた犬と猫に「盗まれた宝物を一緒に探してきなさい」と言いました。
一緒に探しに出た犬と猫はやっとの思いで泥棒の家を見つけ出しました。ところが家の門が閉まっていて猫はともかく犬は中に入ることができません。しかし猫が門の傍らから上がって中に入り門の鍵棒をはずして門を開けてくれたことで、犬も中に入ることができたのでまた一緒に宝物を探しだしました。
すると、天井に隠してあった宝物を猫が見つけ出し、口にくわえて犬と一緒に主人の家に帰ろうとしました。しかし、途中にあった川が雨が降ったせいで水位が上がり猫は渡ることができなくなってしまいました。それなのに泳ぎの上手な犬は泳いでひとり先に帰ってしまいました。それを見て猫もなんとか川を渡ろうとしたけれど溺れてしまい宝物を川に落としてしまったのです。
先に帰った犬は、主人に「宝物はあったのか?」と聞かれても「なかった」と答え、「一緒に行った猫はどうした?」と聞かれると「途中で降った雨のせいで川の水が増えて川が渡れず川のそばにいる」と答えました。
その頃の猫は、宝物を落としてしまったことに落ち込み、川のそばで水が引くのを待ってました。すると、下流の方に死んだ魚が浮いているのを見つけました。お腹の空いていた猫がその魚を食べると、魚のお腹の中に落としたはずの宝物が入っているのを見つけました。猫は大喜びで宝物を持って主人の家に帰りました。
猫が家に帰ると、主人に「犬よりずいぶん帰りが遅いが、どうしてこんなに遅くなったんだ?」と聞かれ、川であったことを話し持ち帰った宝物を主人に渡しました。それを聞いた主人は、「猫はいつも私のそばで生活しなさい」と言い、ウソをついた犬には「外で門番をしていなさい」と言いました。
こうしてそれまでは一緒に生活していた犬と猫だけど、犬は外で門番、猫は家の中で生活するようになりました。このことが原因で犬と猫はすっかり仲が悪くなってしまったとさ。
おしまい。

とまあ、犬と猫の仲が悪くなってしまった理由だと言われているお話でした。他にも猫が必死で探し出した宝物を犬が奪い主人に持って帰ったけれど、嘘がばれて犬は怒られ外で門番、猫は可愛がられるようになったからだとか、犬が見つけ出した宝物を猫が奪って持って帰り猫に手柄を取られてしまったからという説もあります。
手柄を取られて怒るのはわかるけど、他は猫をおいて帰ったりウソをついたりしてる犬にも悪いところがあるし、しょうがない気もするけどちょっとかわいそうですよね。ご主人さんもまた泥棒に入られないようになにか理由をつけて門番させたかっただけだったりして・・・。
私だけなのかもしれませんが、犬には庭に小屋があって誰か来たら吠える番犬みたいなイメージがあります。もしかしたらこのお話が関係しているのかもしれないんですね。
またこのお話は、仲がすごく悪いことのたとえで「犬猿の仲」ということわざがありますが、このことを沖縄の方言で「犬(いん)とぅ猫(まやー)」と言われるようになった由来だとも言われています。

取り戻した魂(まぶい)

宜野湾市に昔から伝わる昔話です。昔の沖縄のオジーやオバーは
ケガや事故にあうと魂(まぶい)を落としたのではないかと心配し
「まぶやー、まぶやー」といって落ちた魂を再び手で戻す動作をしたものです。
最近はあまり見かけなくなったおまじないですが、このおまじないのルーツは
この民話では?といわれています。

昔々、たいそう仲の良い夫婦がいました。妻は働き者で夜遅くまで機織りをしていました。
昔から夜に機織りをするとあの世の人に魂(まぶい)をとられるという言い伝えが
あるため夫はたいそう心配し妻に「どうしても夜に機織りをしたいなら魂(まぶい)を
とられないように小刀を口にくわえなさい」と教えました。

ある雨の日夫は用があり隣村まででかけました。夜になると急に雨脚が強くなったので
村境の川は渡れなくなりました。夜中になりようやく水がひいたので夫は
川をわたりはじめました。その時、二人の怪しい男が現れ夫と一緒に川をわたりはじめました。

嫌な感じた夫が二人の男を見ると、不思議なことに男たちは川を渡るときに水音を全く立てないのです。
そればかりではなく、男たちの周りを青白い小さな灯がチロチロと燃えているではありませんか
「これは人間じゃない。後生(ぐそう「あの世」)の者に違いない。」と直感した夫は急いで川をわたろう
としました。

すると二人の男が音もなくスーッと夫に近づき「お・まえ・はに・んげん・か?」とゾッとするような
不気味な声でたずねたのです。人間といえば魂(まぶい)を取られるかもしれないと思った夫は
「私は新後生(みーぐそう「死んだばかりの者」)だよ。」と答えました

すると男たちは「頭を・さわらせ・ろ」というので、蒲葵笠(くばがさ)を被ったままで頭をさしだしました。
蒲葵笠を撫でた男は「頭は・後生(ぐそう)・の・ものだ。」といいました。「あし・も・みせてみろ。」といったので夫はもっていた杖を差し出しました、杖を撫でた男はその杖を撫で「あし・も・後生(ぐそう)の・もの・だ」といい夫のことを新後生(みーぐそう)だと思った男たちは、今晩魂(まぶい)と取りに行く人間の相談を始めました、よく聞いてみるとそれは自分の妻でした。

妻を助けてやりたいと思った夫は「どうかあなたたちのお手伝いをさせてください。」といってみました。男たちは夫の家につくと一人は屋根裏からもう一人は床下から家に入り込み、金蘭の袋に妻の魂(まぶい)を入れて出てきました。夫は男たちに「隣の家には美人の娘がいますから魂(まぶい)をとってきてください、この魂(まぶい)は私が預かりましょう。」といったので二人の男たちはすぐに隣の家に入っていきました。

その間に夫は素早く物置に駆け込み蒲葵笠(くばがさ)をもう一枚持ってきました。そうしてスルスルと屋根にのぼり男たちが隣の家から出てくるのを待ち構えていました。
やがて隣の家から男たちが出てきました「この・いえには・むすめ・など・いない・だました・な!」とたいそう怒っていました。今だ!と思った夫は屋根の上から「コッケコッココー!!!」といいながら蒲葵笠(うばがさ)をバタバタさせて一番鶏の鳴きまねをしました。それをきいた二人の男たちは「夜が・あけた・ぞ・逃げろ」といって慌てて逃げていきました。

男たちの後ろ姿を見届けた夫は、家に入り死んでいる妻の鼻に魂(まぶい)の入った袋を開き扇であおぎました、すると妻の魂(まぶい)は鼻の穴から妻の体にもどり、死んでいた妻は見事に生き返ったということです。
この夫婦はその後も仲良く暮らし、長生きをした、ということです。

ミルク神とカーサ神

ミルク神は沖縄のお祭りでふっくら顔の「豊穣神」として登場する優しい神様です。
あのイリオモテヤマネコで有名な「西表島 竹富町」の昔ばなしとして今も語り継がれているお話です。

昔々、ミルク神とカーサ神は互いにお隣の村に住んでいました。
カーサ神は「働いて苦労するよりは、働かないで人の物を取って食べたほうがいい」
といっていました。ミルク神はカーサ神と違いたいそうな働き者で
「働けば働くほど幸せになる。働くことは大切なことだ。」と村人に教えていました。

ある日、カーサ神はミルク神にいいました。「こうしてあまり近くに住んでいるとお互いにおもしろくない
こともある、蓮華のつぼみを持ち先に咲かせたほうが好きな土地を取るというのはどうだろう?」と
提案をしました。素直なミルク神は「いいよ。」とカーサ神の申し出を受けることにしました。
二人の神は蓮華の蕾を持って静かに目を閉じて座りました。
すると、徳の高いミルク神の蓮華の方が先に咲いたのです。薄目をあけてその様子をみていたカーサ神はあろうことか、自分の蕾とミルク神との花をこっそりと取り替えたのです。
「さあ、私の花が先に咲いたぞ!ここから立って見える土地は全て私のものだ。ミルク神はここから見えない土地へ出ていけ!」するとミルク神は「見えないところの土地は私にくれるのか。」といい
低いところの土地をとりました、低地の方が人もたくさん住み、土地もよく肥えて作物もよくとれました。

ある日、カーサ神はミルク神の村が栄えるのがいまいましく、大量のねずみを作りミルク神の土地に放ったのです。ミルク神は猫を作りネズミを退治させました。失敗したカーサ神は、次にイノシシを作って畑を荒らさせました。ミルク神は犬を作りカーサ神の山へイノシシを追い払ったのです。
こういうわけで、ネズミとイノシシを作ったカーサ神は顔がとんがっていて、犬と猫を作ったミルク神が丸顔なのです。

その後もカーサ神の嫌がらせは止まず、「このままでは殺されるかもしれない」と思ったミルク神は船を作り遠い島に移り住み、その島の王様になりました。そして島民に「人の物を一つ取ると十倍の損」と教えたので
島はどんどん栄えていきました。一方カーサ神の村は何も作らないので相変わらず栄えませんでした。
そこでカーサ神の村人はミルク神の島に移り、栄えている理由を教わろうとしました。

ミルクの島に着くと、船着き場近くの畑でミルク神の島民が言い争っているのが聞こえてきました。
カーサ神の村人は「ミルクの島でも争いがあるのか?」と不思議に思いよく聞いてみると、
畑の境界線が曲がっているので境界線上にある土地がどちらのものか?と言い争っていたのです。

カーサ神の村人は間にはいり「それなら真ん中でわければよいではないか」というと
「いや、私たちはミルク神様から人の物を取ると十の損と教えられております。お互いに人の土地と取ることなどできません。」と言って互いに一歩も譲らないのです。
これを聞いたカーサ神の村人は呆れて自分の土地にかえっていったということです。

カーサ神がネズミに似てズルい様子や、困り果てた丸顔のミルク神がとっても臨場感たっぷりに描かれていて面白いですね。ちなみにミルク神は女性であったと言い伝えられています。
なるほど、だから丸顔で優しいお顔なのですね、納得です。