ハブの恩返し

どうしても「こわい」というイメージの強いハブですが、今回はハブに関するお話をご紹介したいと思います。このお話しにでてくるハブはこわくないし、なんかほっこりするようなお話しですよ^^

昔々のことです。
百姓をしている女の人が豆腐を作るために海に水を汲みに行きました。手桶に水を入れそれを頭に乗せて帰る途中、通り道のすぐ側のアダン林からパチパチという音がしてきました。

「なんだろう」と不思議に思い、恐る恐る音のする方を覗き込みました。見るとアダン林の奥で煙が上がり、その煙の下では勢い良くアダンの枯れ葉が激しく燃え上がっています。

「火事だ。今のうちに消さないと大変なことになる」

女の人は海水を入れて重くなった手桶を持って林の中へとかけだしました。
すると燃え上がる炎の囲まれるように、逃げ遅れた大ハブがいました。
「さあ、助けてやるからね。もう噛み付いたりしたらダメだよ」
と頭に乗せていた手桶の中の海水をかけて火を消しました。
念の為にともう一度海から水を汲んで戻ってきた時には大ハブの姿はどこにもありませんでした。

ある日、その女の人は赤ん坊を連れて芋を掘りに畑へと行きました。
作業のために赤ん坊から離れていると泣き出してしまいます。そばまで行って抱いていると泣き止むのですが、作業を始めるとまた泣き出してしまい、作業がはかどらず困ってしまいました。
しかたがないので、赤ん坊が泣き出してもかまわず作業を続けることにしました。
しばらくは泣き続けていた赤ん坊ですが、いつのまにか泣かなくなり、それどころか笑い声が聞こえるではありませんか。

「どうしたの?さっきまであんなに泣いていたのに、今度は一人で機嫌よく笑ったりして」
と言いながら赤ん坊のそばに戻ってみると、赤ん坊のそばには大きなハブがいました。あわててハブを追い払う棒を探したのですが見つかりません。

だけど、赤ん坊は声を出して笑っているので不思議に思いよく見てみると、赤ん坊は大ハブの首のところをギュッとつかんで、大ハブのシッポが目の前で揺れる度に笑っているではありませんか。
赤ん坊に首をつかまれている大ハブこそ火事の時に助けた大ハブだったのです。

大ハブは助けてもらったお礼にと赤ん坊のお守りをしてくれていたのです。
女の人があきれて見ていると、大ハブがじゃべり出しました。

「この前のご恩返しに、アナタにハブに噛まれないおまじないを教えてあげましょう。ハブと会う危険性がある場所では、『潮汲みの子孫だよ。水汲みの子孫だよ。上の道を通ったら、下の道を通れ。下の道を通ったら上の道を通れ。ジュホー、ジュホー』と、三回くり返し言って下さい。そう唱えれば、決して噛まれる事はありませんよ」

と、言い残して去って行きました。それ以来、その女の人はどんなにハブの多い場所でもハブにかまれることはありませんでした。

大ハブも赤ん坊につかまれて以来、首が細くくびれてしまったそうな・・・。

くしゃみとクスクェー

 この度は、沖縄の少し面白い民話をお話したいと思います。

 沖縄には、くしゃみをするときにおまじないがあることをご存知ですか?
 実は沖縄では、くしゃみに関する古い言い伝えがあるそうなんです。
 それは、「クスクェー」という言い伝えです。
 誰でもするくしゃみだけに、とても面白いお話ですよ。

『由来』
 「クスクェー」の由来の話となると、多くのお話があるのですがより分かりやすい話を紹介したいと思います。

 ある日、悪霊たちが集まってこそこそ話をしていました。
 悪霊A「近くの村に子供がうまれたんだって。」
 悪霊B「どうにかして魂を抜き取れないかなぁ。」
 悪霊A「そうだ!子供がくしゃみをした隙に、頂きに行こう」
 悪霊B「それはいい案だね。そうしよう」
 悪霊A「だけど気を付けて行かないといけないね。」
悪霊B「そう気を付けて行かないと。わしらはあの言葉に弱いんだ。」
悪霊A「あの『クスクェー』という忌々しいあのおまじないだよね。」
悪霊B「わしらが魂を抜くことができなくなってしまうあのおまじない。」
悪霊A「誰にも知られないようにしなければ。」
悪霊B「気を付けよう。」
悪霊A「気を付けよう。」
 
 この悪霊たちのやり取りを、たまたま近くで聞いていた村人がいました。
 その村人は、村に戻って村人が村中の人たちに伝えて回ったので、子供たちは悪霊たちに魂を抜き取られず無事に過ごすことができましたとさ。
 
 ・・・というお話です。
 かなり都合の良い話のような気がしますが、沖縄では今でも子供がくしゃみをすると大人が「クスクェー」と言って、おまじないをかけているそうです。
 でも近年では、時代の流れで沖縄でもあまり聞かなくなったそうですが、沖縄のおじいさんやおばあさんはその言い伝えにならって「クスクェー」と言っているそうですよ。
 なんだか目の前でそのやり取りを聞くと、なごみそうな感じがするのでぜひ沖縄の子供たちには受け継いでもらいたいものですね。

 私は全然知りませんでしたが、くしゃみはかなり昔から縁起が悪いとされているそうで、「クスクェー」のお話と同じようにくしゃみをすると悪霊が入り込むとされ、それを防ぐためにさまざまなおまじないが世界各地にあるんだそうですよ。
 時間があれば、また世界各地のおまじないを調べてみようと思います。

沖縄の民話 「キジムナーの仕返し」

沖縄本島南部の宇江城(うえぐすく※現在の糸満市)に伝わる「キジムナーの仕返し」という民話があります。

むかし、サバムイ(鮫殿)という漁師がいました。
サバムイがある夜、海で漁をしていると、すぐ傍で同じように魚を獲っている人がいました。見たことのないその人は、それからサバムイが夜遅く漁に出るたびに、やってくるのでした。そしてその男がいる夜は、魚がよく獲れました。
そのうち二人は仲良くなって、毎日のように一緒に漁をしました。
ところが男は自分の名前も言わないし、顔も話し方も普通の人たちと違っていたので、サバムイは男が人間ではないかもしれないと思い始めました。
やがてサバムイは「あれはヤナムン(沖縄の言葉で妖怪のこと)が化けている。このままあの男と付き合うと悪いことが起こる」と考え、男の家をつきとめることにしました。

ある日漁が終わると、サバムイは男のあとをつけます。男は山の上の丘に昇っていき、大きなクワの木に吸い込まれるように姿を消したのです。
「やっぱりあいつは人間ではねえ。あのクワの木に住むキジムナーが化けていたんだ」
キジムナーとは、沖縄でいうカッパに似た妖怪で、魚とりが上手で古い木に住み着くと云われている生き物です。
サバムイは家に帰ると、男がクワの木に吸い込まれたことを妻に言い、こう頼みました。
「明日俺が漁に行ってる間に、お前は干し草やワラを用意してクワの木を燃やしてくれ」
次の夜、サバムイと男は、いつものように漁に出かけました。魚がとれはじめたとき、
「どうもおかしい。家のこげる匂いがする」と、男が言いました。

「そんなことないさ。気のせいだろうよ」とサバムイは気をそらせようとしますが、
「いや、たしかに匂う。こうしてはいられない」と男は漁をやめ、急いですぐに帰っていきました。
大きなクワの木はまっ黒に焼け落ち、その日からキジムナーの男は姿を消してしまいました。サバムイは、これで妖怪を退治したと大喜びしました。
家を失くしたキジムナーは、住処になる木を探して、宇江城より北にある国頭(くにかみ)まで消えてしまいました。
それから何年もの月日がたったある日、サバムイは首里にいる幼なじみに会いにいきました。久しぶりに友だちと会って酒をかわすうちに、サバムイは気が大きくなってきて、あの男の話やクワの木を妻に焼かせて追い出したことを上機嫌で話しました。
話を聞いていた幼なじみの友だちは、急に怖い顔になって怒り出しました。
「あんたは仲良くなった男にそんなひどいことをしたのか!男がキジムナーだったとしても、あんたにいったい何をしたというんだ!あんたは悪い男だ!」

サバムイが驚いてよく見ると、目の前にいるのは幼なじみの友だちではなく、あのキジムナーだったのです。キジムナーは持っていた小刀で、サバムイを切り付けました。
「痛い!」サバムイは血を流しながら村へ帰り、苦しみながら死んでしまいました。
沖縄のキジムナーは、ガジュマルやクワの大木を住処としています。人間に害を与えるどころか、逆に幸福をもたらしてくれる生き物でした。
しかし人間が裏切ったりひどい仕打ちをしたりしたときには、恐ろしい仕返しをするのです。
サバムイはキジムナーを妖怪と邪推して家を燃やしたことでキジムナーの仕返しにあい、命を落としてしまいました。

沖縄旅行に行くと、ガジュマルやクワの木々がそこここにあります。穏やかな自然美をみせるこの風景のどこかに、キジムナーがいるのでしょうか。

沖縄の民話 「カジマヤーの始まり」

 日本の風習に、60歳の還暦祝い、88歳の米寿のお祝いがありますが、沖縄では97歳になると行うカジマヤー(風車)のお祝いという風習があります。
この風習が出来た元と言われる民話をご紹介します。 近隣の市町村とともに2005年にうるま市に吸収合併された旧具志川市に伝わるお話です。

むかしむかし、ある所に天まで届くほどの大きな木が生えていました。 ある時、天からその木を伝って神様が地上に降りて来ました。
神様は地上にあった土で人形を六体作りました。
それに息を吹き込み、人間にするつもりでしたが、作り終わったのが夕方になってしまったので、「これは大事な人間だから、明日の朝、満ち潮の時に命を吹き込もう。」と再び天に帰っていきました。
次の日の朝、神様が降りて来ると土人形は全て壊されていました。
神様はもう一度、六体の土人形を作りましたが、作り終わったのがまた夕方になっていたので、またその人形を残したまま、天に帰りました。
三日目、再び神様が天から降りてくると、また人形は壊されていました。
神様は怒り、今度人形を作ったあと、そこにとどまりました。
誰が壊したのか見張っていると、真夜中、あたりに強い光が放たれて大地が二つに割れました。
その中から現れたのは老人でした。老人が天の神が作った六つの土人形を壊そうとしたので、天の神が大声で止めました。
「待て、勝手に私の作ったものを壊すな。」
すると老人は言いました。
「私は土の神だ。私に断りなく土でこれを作ったのはお前か。」 
天の神は土の神に詫びて、
「私は人間を作りたいのだ。すまないが百年の間、この土を私に貸してくれないだろうか。」 
と頼みこみました。
天の神は土の神から借りた土で六体の人形を作り、今度は無事朝に命を吹き込めました。
六体の土人形は六人の人間となり、やがて三組の夫婦となりました。ここから人間の世が始まったのです。

それから97年が経ち、人間は増え人の世は栄えました。天の神が喜んでいると、土の神が現れて言ったのです。「さあ約束の日だ。土を返してくれ。」天の神は驚き聞きました。
「まだ、百年経っていない。まぜ今日なのだ。」 土の神は言いました。
「3年分の閏(うるう)の月があるから、それを入れると今日がちょうど百年目だ。」
そして
「もっと上の神からのお達しなのでどうしても今日返してくれないか」 と懇願しました。
天の神は困りました。地上にはまだ多くの人間がいます。
天の神は「まだ子供や老人もいる。みんながみんな百年生きたわけではない。どうにかしてくれないか。」 と土の神に頼みます。
土の神は思案して、97年以上生きた人間に風車を持たせて生まれたばかりの赤ちゃんのフリをさせることにしました。
これでもっと偉い神様に申し訳が立つようにしたのです。
この民話から、沖縄では97歳になると老人に風車を持たせて村中を行列して歩く「カジマヤー(風車)の祝い」が始まったそうです。
生まれたばかりの赤ちゃんのフリをさせて、これからも生きられるように神様にお願いする長寿願いの行事で貴重な民俗的風習です。
あらかじめ日にちが決められた観光行事ではないので、沖縄旅行に行って見られることは少ないでしょうが、長寿の多い沖縄なら機会があるかもしれませんね。

天女のお話

空気のきれいな宮古島では、星がとってもきれい。沖縄旅行で宮古島に泊まりできれいな天の川に感動した人も多いのでは? こちらは 星空を微速度撮影した動画です。
キャノンのEOSkiss で星空撮影にトラ
イ http://kanko.385ch.com/detail.aspx?id=661

さて宮古島には星にまつわるお話が語り継がれていますよ。どちらも天女の伝説です。 「天女のはなし」 むかし、天に6人の星の姉妹が住んでいました。ある日、姉妹は羽衣を着て地上に降り、 湖を見つけると、羽衣を脱いで水遊びをしていました。そこに通りかかった湖の主のミカルスは、木にかけてあった美しい羽衣を1枚持ち帰ってしまいます。

湖では1番上の姉 オカアニが一人飛べずに泣いていました。ミカルスは何食わぬ顔で近づき「どうしたの」と聞くと、オカアニは「水浴びをしている間に、羽衣が無くなってしまい帰れなくない」と言います。

 オカアニは羽衣が見つかるまで、ミカルスの家で暮らすことになりました。それから何年か経って、二人は夫婦になっていました。ウミシイとウミナイという2人の男の子も産まれました。ある日屋根裏のかごの中に羽衣を見つけたオカアニは、息子2人を脇にかかえ飛ぼうとしたが、うまく飛べません。仕方なく1人で天に帰っていきました。天に戻ったものの子どものことが気がかりで、いつもひっそりと光っているということです。

「天の川の由来」むかし、銘苅里之子(めかるさとのしい)いう大将がいました。 里之子は、庭に 池を造って鯉を飼い、自分もその池で水浴びをしたりしていました。 ある朝、池を眺めていると、どこからか美しい娘が来て水浴びをしていました。

毎朝のように娘を見かけるようになりましたが、すぐにいなくなってしまいます。注意して見ていると、娘は、天から降りてくると、羽衣を池の傍樫の木の上に置いて水浴びをして、水浴びが終わると、天に飛び上がっていました。  それを知った里之子は、娘が水浴びをしている間に羽衣を隠しました。

天に帰れず困っている娘に、里之子は見つかるまで自分の家で暮らすよう言いました。 里之子 は一緒に捜すふりをして、何日も引き止めているうちに、天女と夫婦になりました。

 姉と弟の二人の子供にも恵まれました。ある日、姉の方が弟の子守りをしながら、「泣くなよ、弟、大きくなったら、母ちゃんの羽衣を着て、飛んで行く」と歌っています。これを聞いた天女が羽衣はどこにあるのかと娘に聞くと、 羽衣が出てきました。 天に戻った天女は 、 縄をおろして、夫子を天に呼び寄せました。 天女の父親である天太(太陽)の神は、 冬瓜を植えるように里之子に言います。

言われたとおりにするとすぐに芽が生え、蔓が延びてきて里之子に巻きつきそうになりました。斧で蔓を切って戻ると、次は 冬瓜の実をを取ってくるように言われ、馬に積んで家に帰ってきました。次にの冬瓜を切りなさいと言いました。
  里之子は、 冬瓜を横に倒して切ると、どっと汁が出てきて、それが天の川となり天女と里之子の間に流れました。それからは、この天の川で隔てられている里之子と天女とは、年に一日だけ、会うのが許されるようになったということです。

三つの玉

「三枚のお札」は本州の各地に伝えられている民話です。詳細は地方により異なりますが、山中で出会った山姥から逃げるお話で、山に入った小僧さんが、山姥に出会い、和尚さんにもらったお札を使って逃げる、という内容です。

さて 宮古にもよく似た民話が伝えられています。

「三つの玉」
 むかし、ある若者が、作物の作り方や、牛馬の飼い方を教えてもらおうと旅に出ました。村はずれの坂道を歩いていると、おじいさんがヨロヨロと歩いています。若者は気の毒に思って声をかけました。「大丈夫ですか?背負ってあげましょう」若者がおじいさんを背負って、坂道を登り終えると、おじいさんはお礼に三つの玉の入った包みを若者に渡しました。「旅の途中、困ったことがあったら、この玉に息を吹きかけて一つずつ投げるがよい」3つの玉は水の玉、山の玉、火の玉でした。
 若者はさらに旅を続けました。日が暮れてきたので、宿を捜そうとすると、山の中の一軒家が目に付きました。中からはおばあさんが出てきて快く若者を招き入れてくれました。しかし家の中は生臭い臭いが充満しています。部屋には、骨がころがっていました。このおばあさんは、山に迷って訪ねてきた旅人を殺して食べてしまう、やまんばだったのです。

「大変だ」若者は一目散に逃げ出します。「待て、逃がさんぞ」やまんばは、大きな棒を振り回して追いかけてきます。
ここで若者はおじいさんにもらった三つの玉のことを思い出しました。3つのうち1つの玉を袋から出し、息を吹きかけると、やまんばの前に大きな川ができ、轟音を立てて流れていきました。
 しかし、やまんばは激流をものともせず、追いかけてきます。若者は2つ目の玉を取り出して、息を吹きかけました。すると、アダン林とサルカ山が出現しました。それでもやまんばは、刺々のサルカ山を踏み分けて追いかけてきます。若者は、最後の玉を取り出して息を吹きかけました。すると、やまんばの前に大きな火の玉ができました。やまんばは火だるまになって焼け死んでしまいました。
 こうして若者は旅を続けることができました。いろんなことを学び、ふるさとに帰るとよき指導者となり、村人たちも導いていったそうです。

金の鳥

「金の鳥」

むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おじいさんがいつものように山へ狩りに行くと金色の鳥が空を飛んでいます。とても美しい鳥だったので、狩りも忘れて見ていました。あまりの美しさに神様かもしれないと思い、鉄砲をしまっていまいました。その日は獲物を捕らないまま家に帰りました。
 家に帰ると、「じいさんや、今日の獲物は何かい」とおばあさんが尋ねました。
 「あまりにもきれいで珍しい金の鳥を見たから何も捕らないで帰ったよ」
おじいさんはそう答えます。

 「そんなだからいつまでたっても貧乏なんだよ」とおばあさんはいい顔をしません。
次の日、おじいさんが山へ行くと昨日と同じように金色に輝く鳥が飛んで います。 おじいさんが鳥を眺めていると、金の鳥が言いました。
「おじいさん、どうして鉄砲を撃たないのですか」
「あんまりきれいな鳥だから撃てないんだ」と答えると、
「では、どうして狩りをしているのですか」と尋ねました。
「 狩りをしないと暮らしていけないんだよ」とおじいさんは言います。
「そんなら、暮らしていけるようにしてあげますから、もう山に来て狩りをしないと約束してください」と金の鳥が言いました。

おじいさんは
「それなら約束するよ」と答えました。
おじいさんは不思議に思いながらも帰路につきました。すると今までの小さなあばら家は消え、かわりに大きなお屋敷が建っていました。

おじいさんの留守中にたくさんの人が来て、あっと言う間に家を建て、 食べる物や 着物を持ってきたのです。
それから、おじいさんは山へ狩を行くこともなくのんびりと暮らしていました。しばらくしておばあさんは空を飛んでみたいと言うようになりました。
おばあさんは、あの金の鳥に空を飛べるようにお願いしてほしいと、おじいさんに頼みました。おばあさんは毎日のようにおじさんに頼むので、おじいさんはとうとう、山に行きました。
空を見上げて金の鳥を捜していると、金の鳥が飛んできました。
金の鳥はなぜまた山に来たのかとおじいさんに尋ねます。おじいさんが事情を話すと、
「分かりました。では家へお帰りなさい。おばあさんはもう空を飛んでいるしょう」と金の鳥が言いました。
おじいさんが家に帰っておばあさんを呼びましたがおばあさんの返事がありません。聞こえるのはカァー、カァーという鳥の声ばかり。
おばあさんは鳥になって、念願通り空を飛び、毎日山へ行っては戻ってきて自分の家の屋根に止まるようになったと言うことです。

天女のお話

空気のきれいな宮古島では、星がとってもきれい。沖縄旅行で宮古島に泊まりできれいな天の川に感動した人も多いのでは?こちらは 星空を微速度撮影した動画です。

 

キャノンのEOSkiss で星空撮影にトライhttp://kanko.385ch.com/detail.aspx?id=661
さて宮古島には星にまつわるお話が語り継がれていますよ。どちらも天女の伝説です。

「天女のはなし」

むかし、天に6人の星の姉妹が住んでいました。ある日、姉妹は羽衣を着て地上に降り、 湖を見つけると、羽衣を脱いで水遊びをしていました。そこに通りかかった湖の主のミカルスは、木にかけてあった美しい羽衣を1枚持ち帰ってしまいます。湖では1番上の姉 オカアニが一人飛べずに泣いていました。ミカルスは何食わぬ顔で近づき「どうしたの」と聞くと、オカアニは「水浴びをしている間に、羽衣が無くなってしまい帰れなくない」と言います。
 オカアニは羽衣が見つかるまで、ミカルスの家で暮らすことになりました。それから何年か経って、二人は夫婦になっていました。ウミシイとウミナイという2人の男の子も産まれました。ある日屋根裏のかごの中に羽衣を見つけたオカアニは、息子2人を脇にかかえ飛ぼうとしたが、うまく飛べません。仕方なく1人で天に帰っていきました。天に戻ったものの子どものことが気がかりで、いつもひっそりと光っているということです。

「天の川の由来」

 

むかし、銘苅里之子(めかるさとのしい)いう大将がいました。 里之子は、庭に 池を造って鯉を飼い、自分もその池で水浴びをしたりしていました。
ある朝、池を眺めていると、どこからか美しい娘が来て水浴びをしていました。毎朝のように娘を見かけるようになりましたが、すぐにいなくなってしまいます。注意して見ていると、娘は、天から降りてくると、羽衣を池の傍樫の木の上に置いて水浴びをして、水浴びが終わると、天に飛び上がっていました。
 それを知った里之子は、娘が水浴びをしている間に羽衣を隠しました。 天に帰れず困っている娘に、里之子は見つかるまで自分の家で暮らすよう言いました。 里之子 は一緒に捜すふりをして、何日も引き止めているうちに、天女と夫婦になりました。

 

姉と弟の二人の子供にも恵まれました。ある日、姉の方が弟の子守りをしながら、「泣くなよ、弟、大きくなったら、母ちゃんの羽衣を着て、飛んで行く」と歌っています。これを聞いた天女が羽衣はどこにあるのかと娘に聞くと、 羽衣が出てきました。
天に戻った天女は 、 縄をおろして、夫子を天に呼び寄せました。 天女の父親である天太(太陽)の神は、 冬瓜を植えるように里之子に言います。言われたとおりにするとすぐに芽が生え、蔓が延びてきて里之子に巻きつきそうになりました。斧で蔓を切って戻ると、次は 冬瓜の実をを取ってくるように言われ、馬に積んで家に帰ってきました。次にの冬瓜を切りなさいと言いました。

 

里之子は、 冬瓜を横に倒して切ると、どっと汁が出てきて、それが天の川となり天女と里之子の間に流れました。それからは、この天の川で隔てられている里之子と天女とは、年に一日だけ、会うのが許されるようになったということです。