マムヤの伝説

「マムヤの伝説」

 

むかし保良(ぼら)の村に、大和(やまと)の国から宮古島に逃れてきて住んでいた娘がいました。 平家の落人で名前をマムヤといいました。マムヤはとても美しく、 村中だけでなく、宮古のほかの村にまで知れ渡るほどでした。またはたおりの名人で、すばらしい布をたくさん織ることができました。

 その噂を聞いた島の実力者や宮古の役人が、毎日のようにマムヤの家におしよせてきて、 争うようにして結婚を申し込みました。しかしマムヤは、どんなに宝を積まれて申し込まれても、「私はこのまま一人でいたいのです」と断りました。それでも男立ちがマムヤの家に来るのをやめなかったので、マムヤは人に見つからない所に行こうと決心し、東平安名崎(ひがしへんなざき)で洞穴を見つけて身を隠します。

 ある日のこと、保良地区の一番の権力者だった按司(あんじ)の崎山の坊が釣りをするために東平安名崎に来て、釣り場をさがしていると、洞穴の中から機織りの音が聞こえます 。 マムヤが機を織る音でした。これを知った崎山の坊は、 マムヤをどうしても自分の妻にしたいと思いました。
 毎日のように結婚するように申し込みましたが、マムヤは断りつづけます。そこで崎山の坊は自分と勝負をして、崎山の坊が勝ったら結婚するという約束を取り付けました。崎山の坊が保良から 海岸から拾ったさんご石を並べていき、マムヤには芭蕉の糸をつないで、どちらが先に狩俣に着くことができるか、というものでした。

 

勝負が始まると、崎山の坊は家来や農夫を使って海岸に走らせ、サンゴ石を次々と集めては狩俣に向けてつないでいきます。マムヤは、一生懸命芭蕉の糸をよってつないでいきますが、一人ではとうてい勝つことはできませんでした。負けたマムヤは、約束通り崎山の坊の妻になることになりました。
 しかし結婚してみると、崎山の坊にはすでに奥さんがおり、最初の妻はマムヤにとてもつらくあたりました。 耐えられなくなったマムヤは先の妻と別れてくれるように頼みましたが、「子供のいる最初の妻が大事だ」と言われます。
 失望したマムヤは家を飛び出し、 平安名崎に行きました。「神様、私がこんなに辛い苦しい思いをしたのは私が美しかったからです。どうか、この保良の村の娘にこんな悲しい思いをさせないでください。この保良に美しい娘が生まれないようにしてください。」そう祈ると崖から身をおどらせて、身を投げて死んでしまいました。
それから、平安名崎に近い保良の村には、長い間美しい娘は生まれなくな ったということです。

宮古島の南東に海に突き出した東平安名崎は、宮古島の中心地平良の町から約30キロ先にあります。平安名崎の白い灯台の近くには、今もマムヤのこもった 洞窟とマムヤの墓があります。沖縄旅行の際には訪れてみてはいかがでしょう。

沖縄情報IMA
http://www.okinawainfo.net/miyako/higashih.htm

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