取り戻した魂(まぶい)

宜野湾市に昔から伝わる昔話です。昔の沖縄のオジーやオバーは
ケガや事故にあうと魂(まぶい)を落としたのではないかと心配し
「まぶやー、まぶやー」といって落ちた魂を再び手で戻す動作をしたものです。
最近はあまり見かけなくなったおまじないですが、このおまじないのルーツは
この民話では?といわれています。

昔々、たいそう仲の良い夫婦がいました。妻は働き者で夜遅くまで機織りをしていました。
昔から夜に機織りをするとあの世の人に魂(まぶい)をとられるという言い伝えが
あるため夫はたいそう心配し妻に「どうしても夜に機織りをしたいなら魂(まぶい)を
とられないように小刀を口にくわえなさい」と教えました。

ある雨の日夫は用があり隣村まででかけました。夜になると急に雨脚が強くなったので
村境の川は渡れなくなりました。夜中になりようやく水がひいたので夫は
川をわたりはじめました。その時、二人の怪しい男が現れ夫と一緒に川をわたりはじめました。

嫌な感じた夫が二人の男を見ると、不思議なことに男たちは川を渡るときに水音を全く立てないのです。
そればかりではなく、男たちの周りを青白い小さな灯がチロチロと燃えているではありませんか
「これは人間じゃない。後生(ぐそう「あの世」)の者に違いない。」と直感した夫は急いで川をわたろう
としました。

すると二人の男が音もなくスーッと夫に近づき「お・まえ・はに・んげん・か?」とゾッとするような
不気味な声でたずねたのです。人間といえば魂(まぶい)を取られるかもしれないと思った夫は
「私は新後生(みーぐそう「死んだばかりの者」)だよ。」と答えました

すると男たちは「頭を・さわらせ・ろ」というので、蒲葵笠(くばがさ)を被ったままで頭をさしだしました。
蒲葵笠を撫でた男は「頭は・後生(ぐそう)・の・ものだ。」といいました。「あし・も・みせてみろ。」といったので夫はもっていた杖を差し出しました、杖を撫でた男はその杖を撫で「あし・も・後生(ぐそう)の・もの・だ」といい夫のことを新後生(みーぐそう)だと思った男たちは、今晩魂(まぶい)と取りに行く人間の相談を始めました、よく聞いてみるとそれは自分の妻でした。

妻を助けてやりたいと思った夫は「どうかあなたたちのお手伝いをさせてください。」といってみました。男たちは夫の家につくと一人は屋根裏からもう一人は床下から家に入り込み、金蘭の袋に妻の魂(まぶい)を入れて出てきました。夫は男たちに「隣の家には美人の娘がいますから魂(まぶい)をとってきてください、この魂(まぶい)は私が預かりましょう。」といったので二人の男たちはすぐに隣の家に入っていきました。

その間に夫は素早く物置に駆け込み蒲葵笠(くばがさ)をもう一枚持ってきました。そうしてスルスルと屋根にのぼり男たちが隣の家から出てくるのを待ち構えていました。
やがて隣の家から男たちが出てきました「この・いえには・むすめ・など・いない・だました・な!」とたいそう怒っていました。今だ!と思った夫は屋根の上から「コッケコッココー!!!」といいながら蒲葵笠(うばがさ)をバタバタさせて一番鶏の鳴きまねをしました。それをきいた二人の男たちは「夜が・あけた・ぞ・逃げろ」といって慌てて逃げていきました。

男たちの後ろ姿を見届けた夫は、家に入り死んでいる妻の鼻に魂(まぶい)の入った袋を開き扇であおぎました、すると妻の魂(まぶい)は鼻の穴から妻の体にもどり、死んでいた妻は見事に生き返ったということです。
この夫婦はその後も仲良く暮らし、長生きをした、ということです。

ミルク神とカーサ神

ミルク神は沖縄のお祭りでふっくら顔の「豊穣神」として登場する優しい神様です。
あのイリオモテヤマネコで有名な「西表島 竹富町」の昔ばなしとして今も語り継がれているお話です。

昔々、ミルク神とカーサ神は互いにお隣の村に住んでいました。
カーサ神は「働いて苦労するよりは、働かないで人の物を取って食べたほうがいい」
といっていました。ミルク神はカーサ神と違いたいそうな働き者で
「働けば働くほど幸せになる。働くことは大切なことだ。」と村人に教えていました。

ある日、カーサ神はミルク神にいいました。「こうしてあまり近くに住んでいるとお互いにおもしろくない
こともある、蓮華のつぼみを持ち先に咲かせたほうが好きな土地を取るというのはどうだろう?」と
提案をしました。素直なミルク神は「いいよ。」とカーサ神の申し出を受けることにしました。
二人の神は蓮華の蕾を持って静かに目を閉じて座りました。
すると、徳の高いミルク神の蓮華の方が先に咲いたのです。薄目をあけてその様子をみていたカーサ神はあろうことか、自分の蕾とミルク神との花をこっそりと取り替えたのです。
「さあ、私の花が先に咲いたぞ!ここから立って見える土地は全て私のものだ。ミルク神はここから見えない土地へ出ていけ!」するとミルク神は「見えないところの土地は私にくれるのか。」といい
低いところの土地をとりました、低地の方が人もたくさん住み、土地もよく肥えて作物もよくとれました。

ある日、カーサ神はミルク神の村が栄えるのがいまいましく、大量のねずみを作りミルク神の土地に放ったのです。ミルク神は猫を作りネズミを退治させました。失敗したカーサ神は、次にイノシシを作って畑を荒らさせました。ミルク神は犬を作りカーサ神の山へイノシシを追い払ったのです。
こういうわけで、ネズミとイノシシを作ったカーサ神は顔がとんがっていて、犬と猫を作ったミルク神が丸顔なのです。

その後もカーサ神の嫌がらせは止まず、「このままでは殺されるかもしれない」と思ったミルク神は船を作り遠い島に移り住み、その島の王様になりました。そして島民に「人の物を一つ取ると十倍の損」と教えたので
島はどんどん栄えていきました。一方カーサ神の村は何も作らないので相変わらず栄えませんでした。
そこでカーサ神の村人はミルク神の島に移り、栄えている理由を教わろうとしました。

ミルクの島に着くと、船着き場近くの畑でミルク神の島民が言い争っているのが聞こえてきました。
カーサ神の村人は「ミルクの島でも争いがあるのか?」と不思議に思いよく聞いてみると、
畑の境界線が曲がっているので境界線上にある土地がどちらのものか?と言い争っていたのです。

カーサ神の村人は間にはいり「それなら真ん中でわければよいではないか」というと
「いや、私たちはミルク神様から人の物を取ると十の損と教えられております。お互いに人の土地と取ることなどできません。」と言って互いに一歩も譲らないのです。
これを聞いたカーサ神の村人は呆れて自分の土地にかえっていったということです。

カーサ神がネズミに似てズルい様子や、困り果てた丸顔のミルク神がとっても臨場感たっぷりに描かれていて面白いですね。ちなみにミルク神は女性であったと言い伝えられています。
なるほど、だから丸顔で優しいお顔なのですね、納得です。

 

亀の恩返し

 沖縄には、さまざまな面白い民話があるのはご存知でしょうか。
 民話の数だけでもかなりの数が存在しています。
 なぜそんなにあるのかは謎ですが、調べてみると面白い話も出てくるので楽しいですよ。
 そして、この度はそんな面白い沖縄の民話のなかでも私的に特に気に入っている「亀の恩返し」というお話を紹介したいと思います。
 「亀の恩返し」といえば、「浦島太郎」が有名ですが、それとはまた別のお話で沖縄に昔から伝わっている「亀の恩返し」のお話です。

 昔々のお話です。
もうすぐ唐の国に旅に行くことになっている役人が用事があって沖縄本島にある糸満 に行きました。
すると、港では大きなカメが陸に上がっていて、漁師さんたちがその大きなカメを殺そうとしていました。
糸満を訪れた役人は、「ウミガメは竜宮の使いである」という話を聞いたことがあるのを思い出していると、殺されそうになっている大きなカメは、役人に助けを求めるように役人を見て涙を流しました。
役人は、思わず「ちょっと待ってくれ。」と漁師さんたちに声をかけました。
役人は「そのカメを譲ってくれないか。」と漁師さんたちに交渉し、たくさんのお金を支払って大きなカメを漁師さんたちから買いました。
そして、役人はその大きなカメを海に連れて行き、逃がす際に自分の唐の国への旅が無事に終わるように願いを込めて逃がしてやりました。

その後、その役人は唐の国へ船で向かいました。
しかし、航海の途中で大きな嵐に巻き込まれてしまい、船が壊れて役人は海へ投げ出されてしまいました。
役人は、もう助からないだろうと海をさまよっているうちに、大きな岩のようなものが役人を水の上へ押し上げてくれました。
その大きな岩は、なんとあの助けたカメでした。
そして、役人はそのカメの背中に乗って無事に陸地までたどり着くことができました。
役人は、カメのおかげで助かることができ、唐の国への旅も無事に終わらせることができたのでした。

 なかなかストーリー性があっていい話ですよね。
 沖縄では、今でも「亀の恩返し」のお話は子供たちに伝えられているそうですよ。

くしゃみとクスクェー

 この度は、沖縄の少し面白い民話をお話したいと思います。

 沖縄には、くしゃみをするときにおまじないがあることをご存知ですか?
 実は沖縄では、くしゃみに関する古い言い伝えがあるそうなんです。
 それは、「クスクェー」という言い伝えです。
 誰でもするくしゃみだけに、とても面白いお話ですよ。

『由来』
 「クスクェー」の由来の話となると、多くのお話があるのですがより分かりやすい話を紹介したいと思います。

 ある日、悪霊たちが集まってこそこそ話をしていました。
 悪霊A「近くの村に子供がうまれたんだって。」
 悪霊B「どうにかして魂を抜き取れないかなぁ。」
 悪霊A「そうだ!子供がくしゃみをした隙に、頂きに行こう」
 悪霊B「それはいい案だね。そうしよう」
 悪霊A「だけど気を付けて行かないといけないね。」
悪霊B「そう気を付けて行かないと。わしらはあの言葉に弱いんだ。」
悪霊A「あの『クスクェー』という忌々しいあのおまじないだよね。」
悪霊B「わしらが魂を抜くことができなくなってしまうあのおまじない。」
悪霊A「誰にも知られないようにしなければ。」
悪霊B「気を付けよう。」
悪霊A「気を付けよう。」
 
 この悪霊たちのやり取りを、たまたま近くで聞いていた村人がいました。
 その村人は、村に戻って村人が村中の人たちに伝えて回ったので、子供たちは悪霊たちに魂を抜き取られず無事に過ごすことができましたとさ。
 
 ・・・というお話です。
 かなり都合の良い話のような気がしますが、沖縄では今でも子供がくしゃみをすると大人が「クスクェー」と言って、おまじないをかけているそうです。
 でも近年では、時代の流れで沖縄でもあまり聞かなくなったそうですが、沖縄のおじいさんやおばあさんはその言い伝えにならって「クスクェー」と言っているそうですよ。
 なんだか目の前でそのやり取りを聞くと、なごみそうな感じがするのでぜひ沖縄の子供たちには受け継いでもらいたいものですね。

 私は全然知りませんでしたが、くしゃみはかなり昔から縁起が悪いとされているそうで、「クスクェー」のお話と同じようにくしゃみをすると悪霊が入り込むとされ、それを防ぐためにさまざまなおまじないが世界各地にあるんだそうですよ。
 時間があれば、また世界各地のおまじないを調べてみようと思います。

沖縄の民話 「ままこ伝説」②

沖縄県宮古島市の下地島西岸にある「通り池」。直径、水深とも50m級の大きな円形の池が2つ並んでおり、「下地島の通り池」の名でも知られる景勝地です。国の名勝及び天然記念物にも指定されているここは、一見2つの池が並んでいるように見える池ですが、実は地下で繋がっていて海に近い方の池は海と通じています。その特徴から多様な魚介類が生息しており、沖縄旅行者にも人気のダイビングスポットとなっています。

この通り池には、古くから伝わる「継子(ままこ)伝説」という話があります。

あるところに、妻を亡くした男がいました。
男にはまだ小さな息子がいたので、父ひとり子ひとりでは不安だ、と後妻をもらいました。
後妻は男の子を始めは可愛がっていましたが、やがて実子を産みました。
後妻は実子である弟だけを溺愛するようになり、継子であった兄がだんだんとうとましくなってきました。
「他人が生んだこの継子に、この家を継がせてなるのものか!」
後妻の継子への憎しみの思いは、日ごとに増してゆきます。
ある日、後妻は兄弟2人を「散歩に行こう」と誘います。
子ども達は、喜んで母のあとについていきます。行き先は「通り池」でした。
池のほとりで昼食をとったあと、3人はうたた寝をします。
後妻が目を覚ましたとき、日は落ちてあたりは闇に包まれていました。通り池の周囲には人家はなく、月明かりだけが薄ぼんやりと灯っていました。
後妻は、うつ伏せで寝ている兄を抱きあげると、そのまま池に放りこみました。
すぐさま弟を起こそうと身体を揺さぶると、月明かりに照らされたのは、なんと兄でした。
実は、兄は後妻からいつか殺されるのではないかと感じており、後妻が寝ている間に弟の服と自分の服をすり替えていたのです。
後妻は、池に投げ入れたのが実子と知ると、泣き叫び自分も池に飛び込みました。

 

沖縄の民話 「ままこ伝説」①

宮古島にある「下地島の通り池」に、古くから伝わる「継子(ままこ)伝説」という話があることは以前紹介しました。

小さな男の子のいる男のところに後妻として入った女が、やがて実子を産みます。
連れ子の男の子と実子の男の子のふたりは、血は繋がっていないものの、仲良く兄弟として暮らしていました。
始めは連れ子の兄も可愛いがっていた女でしたが、実子が産まれると我が子だけを可愛がり、兄を疎ましく思いはじめます。
ある日、女は「通り池」に兄を落とすことをたくらみ、兄弟を連れて「通り池」に散歩に行きます。
日が落ちて、池のほとりで寝ていた兄弟のうち、女は兄を持ち上げ池に放りこみました。
しかし兄はそのたくらみを感じていて、あらかじめ弟と自分の服をすり替えていたのです。
女は池に投げ入れたのが実子と知ると、泣き叫び自分も池に飛び込みました。

この話には、部分的に少し違う話も伝わっています。

池のほとりに兄弟が寝る前、女は兄には池から遠い所へ、実子へは池のそばで寝るように言いつけます。
兄弟は女の言いつけどおり兄が池から遠い所へ、弟は池のそばへと並んで寝転びます。
女はふたりを置いて海へと降りていきました。
しばらくして、弟が兄に言います。「兄ちゃん、こっちはでこぼこして、背中が痛いよ。」
兄は「そうか、じゃあこっちはでこぼこしてなくて上等だから、兄ちゃんと代われ。」
ふたりは場所を交代します。
夜が深け2人が寝入ったころ、女が戻ってきました。
女は池から遠いところに寝る子を抱き上げ、そのまま池へと放りこみました。
女は残った子を急いで抱いて走り出し、池から遠ざかりました。
手に抱いた子が目を覚まし、女に尋ねました。「母さん、弟は連れて行かなくていいの?」
女はそこで実子を池に投げ入れたことに気づき、狂わんばかりに泣き叫んだ。女は実子の名を呼びながら、自分もそのまま一直線に池に飛び込んだという。

この通り池は、沖縄旅行で来る観光客には人気のダイビングスポットですが、地元の人は誰も近寄らない場所だそうです。水面から地上まで10mもの絶壁で囲まれており、誤って池に落ちたなら自力で這い上がるのはほぼ不可能と言われています。
自然の造形美を感じさせる場所でありながら、自殺の名所としての側面を持っています。
「継子伝説」は、そういった行為を躊躇させるための造話という説もあります。

 

沖縄の民話 「キジムナーの仕返し」

沖縄本島南部の宇江城(うえぐすく※現在の糸満市)に伝わる「キジムナーの仕返し」という民話があります。

むかし、サバムイ(鮫殿)という漁師がいました。
サバムイがある夜、海で漁をしていると、すぐ傍で同じように魚を獲っている人がいました。見たことのないその人は、それからサバムイが夜遅く漁に出るたびに、やってくるのでした。そしてその男がいる夜は、魚がよく獲れました。
そのうち二人は仲良くなって、毎日のように一緒に漁をしました。
ところが男は自分の名前も言わないし、顔も話し方も普通の人たちと違っていたので、サバムイは男が人間ではないかもしれないと思い始めました。
やがてサバムイは「あれはヤナムン(沖縄の言葉で妖怪のこと)が化けている。このままあの男と付き合うと悪いことが起こる」と考え、男の家をつきとめることにしました。

ある日漁が終わると、サバムイは男のあとをつけます。男は山の上の丘に昇っていき、大きなクワの木に吸い込まれるように姿を消したのです。
「やっぱりあいつは人間ではねえ。あのクワの木に住むキジムナーが化けていたんだ」
キジムナーとは、沖縄でいうカッパに似た妖怪で、魚とりが上手で古い木に住み着くと云われている生き物です。
サバムイは家に帰ると、男がクワの木に吸い込まれたことを妻に言い、こう頼みました。
「明日俺が漁に行ってる間に、お前は干し草やワラを用意してクワの木を燃やしてくれ」
次の夜、サバムイと男は、いつものように漁に出かけました。魚がとれはじめたとき、
「どうもおかしい。家のこげる匂いがする」と、男が言いました。

「そんなことないさ。気のせいだろうよ」とサバムイは気をそらせようとしますが、
「いや、たしかに匂う。こうしてはいられない」と男は漁をやめ、急いですぐに帰っていきました。
大きなクワの木はまっ黒に焼け落ち、その日からキジムナーの男は姿を消してしまいました。サバムイは、これで妖怪を退治したと大喜びしました。
家を失くしたキジムナーは、住処になる木を探して、宇江城より北にある国頭(くにかみ)まで消えてしまいました。
それから何年もの月日がたったある日、サバムイは首里にいる幼なじみに会いにいきました。久しぶりに友だちと会って酒をかわすうちに、サバムイは気が大きくなってきて、あの男の話やクワの木を妻に焼かせて追い出したことを上機嫌で話しました。
話を聞いていた幼なじみの友だちは、急に怖い顔になって怒り出しました。
「あんたは仲良くなった男にそんなひどいことをしたのか!男がキジムナーだったとしても、あんたにいったい何をしたというんだ!あんたは悪い男だ!」

サバムイが驚いてよく見ると、目の前にいるのは幼なじみの友だちではなく、あのキジムナーだったのです。キジムナーは持っていた小刀で、サバムイを切り付けました。
「痛い!」サバムイは血を流しながら村へ帰り、苦しみながら死んでしまいました。
沖縄のキジムナーは、ガジュマルやクワの大木を住処としています。人間に害を与えるどころか、逆に幸福をもたらしてくれる生き物でした。
しかし人間が裏切ったりひどい仕打ちをしたりしたときには、恐ろしい仕返しをするのです。
サバムイはキジムナーを妖怪と邪推して家を燃やしたことでキジムナーの仕返しにあい、命を落としてしまいました。

沖縄旅行に行くと、ガジュマルやクワの木々がそこここにあります。穏やかな自然美をみせるこの風景のどこかに、キジムナーがいるのでしょうか。

沖縄の民話 「カジマヤーの始まり」

 日本の風習に、60歳の還暦祝い、88歳の米寿のお祝いがありますが、沖縄では97歳になると行うカジマヤー(風車)のお祝いという風習があります。
この風習が出来た元と言われる民話をご紹介します。 近隣の市町村とともに2005年にうるま市に吸収合併された旧具志川市に伝わるお話です。

むかしむかし、ある所に天まで届くほどの大きな木が生えていました。 ある時、天からその木を伝って神様が地上に降りて来ました。
神様は地上にあった土で人形を六体作りました。
それに息を吹き込み、人間にするつもりでしたが、作り終わったのが夕方になってしまったので、「これは大事な人間だから、明日の朝、満ち潮の時に命を吹き込もう。」と再び天に帰っていきました。
次の日の朝、神様が降りて来ると土人形は全て壊されていました。
神様はもう一度、六体の土人形を作りましたが、作り終わったのがまた夕方になっていたので、またその人形を残したまま、天に帰りました。
三日目、再び神様が天から降りてくると、また人形は壊されていました。
神様は怒り、今度人形を作ったあと、そこにとどまりました。
誰が壊したのか見張っていると、真夜中、あたりに強い光が放たれて大地が二つに割れました。
その中から現れたのは老人でした。老人が天の神が作った六つの土人形を壊そうとしたので、天の神が大声で止めました。
「待て、勝手に私の作ったものを壊すな。」
すると老人は言いました。
「私は土の神だ。私に断りなく土でこれを作ったのはお前か。」 
天の神は土の神に詫びて、
「私は人間を作りたいのだ。すまないが百年の間、この土を私に貸してくれないだろうか。」 
と頼みこみました。
天の神は土の神から借りた土で六体の人形を作り、今度は無事朝に命を吹き込めました。
六体の土人形は六人の人間となり、やがて三組の夫婦となりました。ここから人間の世が始まったのです。

それから97年が経ち、人間は増え人の世は栄えました。天の神が喜んでいると、土の神が現れて言ったのです。「さあ約束の日だ。土を返してくれ。」天の神は驚き聞きました。
「まだ、百年経っていない。まぜ今日なのだ。」 土の神は言いました。
「3年分の閏(うるう)の月があるから、それを入れると今日がちょうど百年目だ。」
そして
「もっと上の神からのお達しなのでどうしても今日返してくれないか」 と懇願しました。
天の神は困りました。地上にはまだ多くの人間がいます。
天の神は「まだ子供や老人もいる。みんながみんな百年生きたわけではない。どうにかしてくれないか。」 と土の神に頼みます。
土の神は思案して、97年以上生きた人間に風車を持たせて生まれたばかりの赤ちゃんのフリをさせることにしました。
これでもっと偉い神様に申し訳が立つようにしたのです。
この民話から、沖縄では97歳になると老人に風車を持たせて村中を行列して歩く「カジマヤー(風車)の祝い」が始まったそうです。
生まれたばかりの赤ちゃんのフリをさせて、これからも生きられるように神様にお願いする長寿願いの行事で貴重な民俗的風習です。
あらかじめ日にちが決められた観光行事ではないので、沖縄旅行に行って見られることは少ないでしょうが、長寿の多い沖縄なら機会があるかもしれませんね。

天女のお話

空気のきれいな宮古島では、星がとってもきれい。沖縄旅行で宮古島に泊まりできれいな天の川に感動した人も多いのでは? こちらは 星空を微速度撮影した動画です。
キャノンのEOSkiss で星空撮影にトラ
イ http://kanko.385ch.com/detail.aspx?id=661

さて宮古島には星にまつわるお話が語り継がれていますよ。どちらも天女の伝説です。 「天女のはなし」 むかし、天に6人の星の姉妹が住んでいました。ある日、姉妹は羽衣を着て地上に降り、 湖を見つけると、羽衣を脱いで水遊びをしていました。そこに通りかかった湖の主のミカルスは、木にかけてあった美しい羽衣を1枚持ち帰ってしまいます。

湖では1番上の姉 オカアニが一人飛べずに泣いていました。ミカルスは何食わぬ顔で近づき「どうしたの」と聞くと、オカアニは「水浴びをしている間に、羽衣が無くなってしまい帰れなくない」と言います。

 オカアニは羽衣が見つかるまで、ミカルスの家で暮らすことになりました。それから何年か経って、二人は夫婦になっていました。ウミシイとウミナイという2人の男の子も産まれました。ある日屋根裏のかごの中に羽衣を見つけたオカアニは、息子2人を脇にかかえ飛ぼうとしたが、うまく飛べません。仕方なく1人で天に帰っていきました。天に戻ったものの子どものことが気がかりで、いつもひっそりと光っているということです。

「天の川の由来」むかし、銘苅里之子(めかるさとのしい)いう大将がいました。 里之子は、庭に 池を造って鯉を飼い、自分もその池で水浴びをしたりしていました。 ある朝、池を眺めていると、どこからか美しい娘が来て水浴びをしていました。

毎朝のように娘を見かけるようになりましたが、すぐにいなくなってしまいます。注意して見ていると、娘は、天から降りてくると、羽衣を池の傍樫の木の上に置いて水浴びをして、水浴びが終わると、天に飛び上がっていました。  それを知った里之子は、娘が水浴びをしている間に羽衣を隠しました。

天に帰れず困っている娘に、里之子は見つかるまで自分の家で暮らすよう言いました。 里之子 は一緒に捜すふりをして、何日も引き止めているうちに、天女と夫婦になりました。

 姉と弟の二人の子供にも恵まれました。ある日、姉の方が弟の子守りをしながら、「泣くなよ、弟、大きくなったら、母ちゃんの羽衣を着て、飛んで行く」と歌っています。これを聞いた天女が羽衣はどこにあるのかと娘に聞くと、 羽衣が出てきました。 天に戻った天女は 、 縄をおろして、夫子を天に呼び寄せました。 天女の父親である天太(太陽)の神は、 冬瓜を植えるように里之子に言います。

言われたとおりにするとすぐに芽が生え、蔓が延びてきて里之子に巻きつきそうになりました。斧で蔓を切って戻ると、次は 冬瓜の実をを取ってくるように言われ、馬に積んで家に帰ってきました。次にの冬瓜を切りなさいと言いました。
  里之子は、 冬瓜を横に倒して切ると、どっと汁が出てきて、それが天の川となり天女と里之子の間に流れました。それからは、この天の川で隔てられている里之子と天女とは、年に一日だけ、会うのが許されるようになったということです。

三つの玉

「三枚のお札」は本州の各地に伝えられている民話です。詳細は地方により異なりますが、山中で出会った山姥から逃げるお話で、山に入った小僧さんが、山姥に出会い、和尚さんにもらったお札を使って逃げる、という内容です。

さて 宮古にもよく似た民話が伝えられています。

「三つの玉」
 むかし、ある若者が、作物の作り方や、牛馬の飼い方を教えてもらおうと旅に出ました。村はずれの坂道を歩いていると、おじいさんがヨロヨロと歩いています。若者は気の毒に思って声をかけました。「大丈夫ですか?背負ってあげましょう」若者がおじいさんを背負って、坂道を登り終えると、おじいさんはお礼に三つの玉の入った包みを若者に渡しました。「旅の途中、困ったことがあったら、この玉に息を吹きかけて一つずつ投げるがよい」3つの玉は水の玉、山の玉、火の玉でした。
 若者はさらに旅を続けました。日が暮れてきたので、宿を捜そうとすると、山の中の一軒家が目に付きました。中からはおばあさんが出てきて快く若者を招き入れてくれました。しかし家の中は生臭い臭いが充満しています。部屋には、骨がころがっていました。このおばあさんは、山に迷って訪ねてきた旅人を殺して食べてしまう、やまんばだったのです。

「大変だ」若者は一目散に逃げ出します。「待て、逃がさんぞ」やまんばは、大きな棒を振り回して追いかけてきます。
ここで若者はおじいさんにもらった三つの玉のことを思い出しました。3つのうち1つの玉を袋から出し、息を吹きかけると、やまんばの前に大きな川ができ、轟音を立てて流れていきました。
 しかし、やまんばは激流をものともせず、追いかけてきます。若者は2つ目の玉を取り出して、息を吹きかけました。すると、アダン林とサルカ山が出現しました。それでもやまんばは、刺々のサルカ山を踏み分けて追いかけてきます。若者は、最後の玉を取り出して息を吹きかけました。すると、やまんばの前に大きな火の玉ができました。やまんばは火だるまになって焼け死んでしまいました。
 こうして若者は旅を続けることができました。いろんなことを学び、ふるさとに帰るとよき指導者となり、村人たちも導いていったそうです。