金の鳥

「金の鳥」

むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おじいさんがいつものように山へ狩りに行くと金色の鳥が空を飛んでいます。とても美しい鳥だったので、狩りも忘れて見ていました。あまりの美しさに神様かもしれないと思い、鉄砲をしまっていまいました。その日は獲物を捕らないまま家に帰りました。
 家に帰ると、「じいさんや、今日の獲物は何かい」とおばあさんが尋ねました。
 「あまりにもきれいで珍しい金の鳥を見たから何も捕らないで帰ったよ」
おじいさんはそう答えます。

 「そんなだからいつまでたっても貧乏なんだよ」とおばあさんはいい顔をしません。
次の日、おじいさんが山へ行くと昨日と同じように金色に輝く鳥が飛んで います。 おじいさんが鳥を眺めていると、金の鳥が言いました。
「おじいさん、どうして鉄砲を撃たないのですか」
「あんまりきれいな鳥だから撃てないんだ」と答えると、
「では、どうして狩りをしているのですか」と尋ねました。
「 狩りをしないと暮らしていけないんだよ」とおじいさんは言います。
「そんなら、暮らしていけるようにしてあげますから、もう山に来て狩りをしないと約束してください」と金の鳥が言いました。

おじいさんは
「それなら約束するよ」と答えました。
おじいさんは不思議に思いながらも帰路につきました。すると今までの小さなあばら家は消え、かわりに大きなお屋敷が建っていました。

おじいさんの留守中にたくさんの人が来て、あっと言う間に家を建て、 食べる物や 着物を持ってきたのです。
それから、おじいさんは山へ狩を行くこともなくのんびりと暮らしていました。しばらくしておばあさんは空を飛んでみたいと言うようになりました。
おばあさんは、あの金の鳥に空を飛べるようにお願いしてほしいと、おじいさんに頼みました。おばあさんは毎日のようにおじさんに頼むので、おじいさんはとうとう、山に行きました。
空を見上げて金の鳥を捜していると、金の鳥が飛んできました。
金の鳥はなぜまた山に来たのかとおじいさんに尋ねます。おじいさんが事情を話すと、
「分かりました。では家へお帰りなさい。おばあさんはもう空を飛んでいるしょう」と金の鳥が言いました。
おじいさんが家に帰っておばあさんを呼びましたがおばあさんの返事がありません。聞こえるのはカァー、カァーという鳥の声ばかり。
おばあさんは鳥になって、念願通り空を飛び、毎日山へ行っては戻ってきて自分の家の屋根に止まるようになったと言うことです。

雨の神さま

「雨の神さま」

 むかしむかし、伊良部島に漁師が住んでいました。漁師が浜辺に行くと、空の方から何やら不思議な声が聞こえてきました。 「竜宮の神よ、そろそろ雨を降らせなさい」どうやら天の神さまが、竜宮の神さまに命令しているようです。竜宮の神はたちまち風を起こし天に舞いあがらせ、大粒の雨を降らせました。漁師はこの様子を見て、なるほどこうして雨が降るのかと、感心して帰りました。  それから島には何日も雨の降らない日が続きました。困った村人の前に漁師は言いました。
「私が雨を降らせよう」その見返りに宝物を要求したのです 。島の人たちは、わらにもすがる思いで漁師にお願いしました。 漁師は浜辺に出て、天の神さまの真似をしました。「竜宮の神よ、雨を降らせなさい」竜宮の神は早速雨を降らせました。漁師は村人たちから食べ物や宝物をたくさんもらいました。
 しかしこのことは、天の神さまと竜宮の神さまにばれてしまいます。怒った神さまは長い間、雨を降らせませんでした。 困った島の人たちは 、漁師にもう1度雨を降らせるよう頼みました。欲深い漁師は、また浜辺に出て「竜宮の神よ、雨を降らせなさい」と天の神さまの真似をしました。すると、海の中から竜の姿に身を変えた竜宮の神さまが現れ、漁師に襲いかかりました。漁師は命からがらクバマ御嶽に逃げ込みました。そのことがさらなる怒りを買い、竜宮の神は、漁師の住む伊良部元島に、病をはやらせむ村を滅ぼしてしまいました。

 欲深い漁師のとばっちりを受けた島人がかわいそすぎるお話でした。この病はマラリアだということです……。 皆さん、神さまを騙しちゃいけませんよ。それとうますぎる話には要注意ですね。  もともと山も川もない宮古島は、雨水が頼りでした。政策によりマラリアの 有病地に開拓させられたという実話も見え隠れします。

それでは雨乞いの唄をお聞きください

雨乞いのクイチャー

http://www.nhk.or.jp/churauta/database/data/690.html http://www.nhk.or.jp/churauta/database/data/689.html

雨乞いのアーグ (宮古島城辺)

http://www.nhk.or.jp/churauta/database/data/679.html

島建て

ヤーマスプナカとは

下地町来間島で、旧暦9月の初未の日から4日間行われる行事。豊穣予祝と子孫繁栄を祈願する。初日と2日目は、神女達が御嶽で夜籠もりをする。3日目の朝、神女達がスマヌヌス(拝所)で神歌を歌った後、スムリャープナカ、ウプヤープナカ、ヤーマスヤープナカという由緒ある家で神歌を歌い、成人のお披露目と1歳の赤ちゃんのお披露目の儀礼を行う。4日目は、3か所のプナカでヤーニバンの儀礼があり、アマグイジャーで棒踊りや舞踊が演じられる。最新版沖縄コンパクト事典(琉球新報社)よりちなみに「ヤー」は家、「マス」は増す、「プナカ」は祭祀の意味。その昔に来間島を救い、繁栄させたと伝えられる3兄弟の家元(長男スムリャーブナカ、次男ウプヤーブナカ、三男ヤーマスシャーブナカ)を中心に祭事が行われます。ではこの伝説の3兄弟のお話を紹介しましょう。

「島建て」

むかし、来間島の村おさ夫婦が女の子を授かりました、娘はすくすくと成長し年頃になりました。娘が外に出ると、強い太陽の光が娘の体に差し込んできました。その日から、娘のお腹はだんだんと大きくなり、ずっと大きいまま月日が流れました。3年と13日がたち、娘は 3個の卵を産みました。両親は卵を畑の枯れ草の中に埋めておくことにしました。
その日から3ヶ月がたったある日のこと、両親は卵が無事かどうかをたしかめにいくと、卵から元気な男の子が3人生まれているではありませんか。両親は孫ができたと喜び家に連れ帰りました。

ところが、男の子たちは、かなりの大食いで1度に何十人分のご飯を食べてしまいます。 そこで村おさは、来間島の向かいの与那覇地区に住む豪族を訪ねました。この一族には子どもがいなかったので、3兄弟は豪族に引き取られ、与那覇に住むようになりました。
 ある年、 来間島は大干ばつにおそわれ、食べるものがなくなり、お供え物もできなくなったので、 その年の豊年祭りが行われませんでした。すると島を守っている神様は怒り、島の人々を次々とどこかに隠してしまいました。その話を聞いた与那覇の里親は、3兄弟に来間島に戻って島を救うよう言いました。3人が島に着くと、大きな鍋の中に隠れているおばあさんを見つけました。「化け物がやって来て、村人をみんなさらって行った」 とおばあさんは言います。

 3人は化け物を退治しようと隠れていると、大きな赤牛がやってきました。赤牛は強かったのですが、角を折ってしまいます。赤牛は、角から血を流しながら海へ逃げていきました。後を付けると海の中に竜宮城が見えます。兄弟が中に入ると、神様が額から血を流していました。3人は神様に、島を 「もとの賑やかな島になるように “島立て”をさせて欲しい」 とお願いし、神様にちゃんと“豊年祭り”をすることを約束しました。3兄弟はおばあさんの娘を連れて島に帰りました。
  娘と3兄弟の長男が結婚して子供をもうけ、その子共達と3兄弟の次男・三男が結婚して家をおこしました。その後来間島には家族が次々と増えていきました。3兄弟は約束通り “豊年祭り”を続けました。いまでも毎年来間島の人々は、豊年祭り「ヤーマスプナカ」をしています。

天女のお話

空気のきれいな宮古島では、星がとってもきれい。沖縄旅行で宮古島に泊まりできれいな天の川に感動した人も多いのでは?こちらは 星空を微速度撮影した動画です。

 

キャノンのEOSkiss で星空撮影にトライhttp://kanko.385ch.com/detail.aspx?id=661
さて宮古島には星にまつわるお話が語り継がれていますよ。どちらも天女の伝説です。

「天女のはなし」

むかし、天に6人の星の姉妹が住んでいました。ある日、姉妹は羽衣を着て地上に降り、 湖を見つけると、羽衣を脱いで水遊びをしていました。そこに通りかかった湖の主のミカルスは、木にかけてあった美しい羽衣を1枚持ち帰ってしまいます。湖では1番上の姉 オカアニが一人飛べずに泣いていました。ミカルスは何食わぬ顔で近づき「どうしたの」と聞くと、オカアニは「水浴びをしている間に、羽衣が無くなってしまい帰れなくない」と言います。
 オカアニは羽衣が見つかるまで、ミカルスの家で暮らすことになりました。それから何年か経って、二人は夫婦になっていました。ウミシイとウミナイという2人の男の子も産まれました。ある日屋根裏のかごの中に羽衣を見つけたオカアニは、息子2人を脇にかかえ飛ぼうとしたが、うまく飛べません。仕方なく1人で天に帰っていきました。天に戻ったものの子どものことが気がかりで、いつもひっそりと光っているということです。

「天の川の由来」

 

むかし、銘苅里之子(めかるさとのしい)いう大将がいました。 里之子は、庭に 池を造って鯉を飼い、自分もその池で水浴びをしたりしていました。
ある朝、池を眺めていると、どこからか美しい娘が来て水浴びをしていました。毎朝のように娘を見かけるようになりましたが、すぐにいなくなってしまいます。注意して見ていると、娘は、天から降りてくると、羽衣を池の傍樫の木の上に置いて水浴びをして、水浴びが終わると、天に飛び上がっていました。
 それを知った里之子は、娘が水浴びをしている間に羽衣を隠しました。 天に帰れず困っている娘に、里之子は見つかるまで自分の家で暮らすよう言いました。 里之子 は一緒に捜すふりをして、何日も引き止めているうちに、天女と夫婦になりました。

 

姉と弟の二人の子供にも恵まれました。ある日、姉の方が弟の子守りをしながら、「泣くなよ、弟、大きくなったら、母ちゃんの羽衣を着て、飛んで行く」と歌っています。これを聞いた天女が羽衣はどこにあるのかと娘に聞くと、 羽衣が出てきました。
天に戻った天女は 、 縄をおろして、夫子を天に呼び寄せました。 天女の父親である天太(太陽)の神は、 冬瓜を植えるように里之子に言います。言われたとおりにするとすぐに芽が生え、蔓が延びてきて里之子に巻きつきそうになりました。斧で蔓を切って戻ると、次は 冬瓜の実をを取ってくるように言われ、馬に積んで家に帰ってきました。次にの冬瓜を切りなさいと言いました。

 

里之子は、 冬瓜を横に倒して切ると、どっと汁が出てきて、それが天の川となり天女と里之子の間に流れました。それからは、この天の川で隔てられている里之子と天女とは、年に一日だけ、会うのが許されるようになったということです。

マムヤの伝説

「マムヤの伝説」

 

むかし保良(ぼら)の村に、大和(やまと)の国から宮古島に逃れてきて住んでいた娘がいました。 平家の落人で名前をマムヤといいました。マムヤはとても美しく、 村中だけでなく、宮古のほかの村にまで知れ渡るほどでした。またはたおりの名人で、すばらしい布をたくさん織ることができました。

 その噂を聞いた島の実力者や宮古の役人が、毎日のようにマムヤの家におしよせてきて、 争うようにして結婚を申し込みました。しかしマムヤは、どんなに宝を積まれて申し込まれても、「私はこのまま一人でいたいのです」と断りました。それでも男立ちがマムヤの家に来るのをやめなかったので、マムヤは人に見つからない所に行こうと決心し、東平安名崎(ひがしへんなざき)で洞穴を見つけて身を隠します。

 ある日のこと、保良地区の一番の権力者だった按司(あんじ)の崎山の坊が釣りをするために東平安名崎に来て、釣り場をさがしていると、洞穴の中から機織りの音が聞こえます 。 マムヤが機を織る音でした。これを知った崎山の坊は、 マムヤをどうしても自分の妻にしたいと思いました。
 毎日のように結婚するように申し込みましたが、マムヤは断りつづけます。そこで崎山の坊は自分と勝負をして、崎山の坊が勝ったら結婚するという約束を取り付けました。崎山の坊が保良から 海岸から拾ったさんご石を並べていき、マムヤには芭蕉の糸をつないで、どちらが先に狩俣に着くことができるか、というものでした。

 

勝負が始まると、崎山の坊は家来や農夫を使って海岸に走らせ、サンゴ石を次々と集めては狩俣に向けてつないでいきます。マムヤは、一生懸命芭蕉の糸をよってつないでいきますが、一人ではとうてい勝つことはできませんでした。負けたマムヤは、約束通り崎山の坊の妻になることになりました。
 しかし結婚してみると、崎山の坊にはすでに奥さんがおり、最初の妻はマムヤにとてもつらくあたりました。 耐えられなくなったマムヤは先の妻と別れてくれるように頼みましたが、「子供のいる最初の妻が大事だ」と言われます。
 失望したマムヤは家を飛び出し、 平安名崎に行きました。「神様、私がこんなに辛い苦しい思いをしたのは私が美しかったからです。どうか、この保良の村の娘にこんな悲しい思いをさせないでください。この保良に美しい娘が生まれないようにしてください。」そう祈ると崖から身をおどらせて、身を投げて死んでしまいました。
それから、平安名崎に近い保良の村には、長い間美しい娘は生まれなくな ったということです。

宮古島の南東に海に突き出した東平安名崎は、宮古島の中心地平良の町から約30キロ先にあります。平安名崎の白い灯台の近くには、今もマムヤのこもった 洞窟とマムヤの墓があります。沖縄旅行の際には訪れてみてはいかがでしょう。

沖縄情報IMA
http://www.okinawainfo.net/miyako/higashih.htm

宮古版浦島たろう

宮古本島南西部から来間大橋で渡れる来間島には竜宮城展望台があるんです。 竜宮城をイメージ3階建ての展望台。エメラルドグリーンの海の向こうに宮古島がとってもキレイに見える絶好のポイント。近くにはカフェもあってひと休みできます。

 

写真や地図、お出かけの際はこちらを参考にしてください。

トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g680765-d3596777-Reviews-Ryugujo_Observatory-Miyakojima_Okinawa_Prefecture_Kyushu_Okinawa.html
竜宮城展望台の旅行ガイド – BIGLOBE旅行  
http://travel.biglobe.ne.jp/tguide/spot/s17951.html

竜宮城展望台沖縄格安旅行 ジェイトリップツアー

 

ところで日本の昔話でおなじみの「浦島太郎」にとってもよく似たお話が宮古島にも伝えられています。

むかしむかし漁師が住んでいました。数日雨が降り続き漁にいけずにいましたが、昼頃にようやく天気が良くなってきました。漁師は釣り道具を持って浜に出ます。すると浜に打ち上げられたエイを子どもたちがいじめているではありませんか。漁師は子ども達を諭してエイを放してあげました。するとその夜、漁師の家に美しい女性がやってきました。行く当てがないというその女性と一夜を共にします。翌朝女性はいなくなっていました。
ある日、漁師が海に出て舟を漕いでいるとどこからとなく「お父さん、お父さん」という声が聞こえてきました。漁師は自分には妻も子供もいないのに誰がお父さんと呼ぶのだろう不思議に思いながら舟を止めてあたりを見回すと、エイの子供たちが泳いでいました。漁師が「どうしてワシをお父さんと呼ぶんだ?」と聞くと、エイの子どもは「私たちが住んでいる竜宮のお母さんがお父さんを連れてくるようにと言いましたので迎えに来ました。さあ、一緒に参りましょう」と答えました。
 漁師は驚いて「どうすれば竜宮に行くことが出来るのかい?」と尋ねてみました。エイの子供たちは「私達の背中に乗って目を閉じてください」と言います。漁師はエイの背中に飛び乗り目をつぶりました。しばらくすると、何やら聞きなれない音がしました。漁師が目を開けるとそこは竜宮城でした。エイの子供たちは漁師を竜宮の乙姫様の所に連れて行きました。エイのお母さんは乙姫様だったのです。しかもその乙姫様こそ、漁師が助けてあげたエイでした。漁師は毎日、楽しい踊りを見たり、ご馳走を食べて時のたつのも忘れて過ごしました。子供たちも「お父さん、お父さん」といってよく懐いてきます。漁師は竜宮城で夢のような時を過ごしました。そのうちに家が恋しくなり宮古に帰るこのにします。すると乙姫様は龍宮城一の宝物だという“瑠璃の壷”を漁師に与えました。壷の中には不老長寿のお酒が入っていて、そのお酒を売ることで貧しかった漁師は島一番のお金持ちになりました。
 立派なお屋敷で暮らすようになった漁師は、驕りから壷を叩きつけ割ろうとしすると、壷が白鳥になって舞い上がりました。その途端漁師の豪華な屋敷は跡形もなく消えていました。

百合若大臣(ユリワカデーズ)

「百合若大臣(ユリワカデーズ)」とっても眠るのが好きな武士のお話です。
 むかし、都の百合若大臣は とても美しい奥さんと暮らしていました。大臣は武芸には優れていましたが、眠り始めると七日の間も眠り続けるという困ったくせがありました。家来の中には、美しい奥方を自分の妻にしたいと、百合若大臣の命を狙う者がいました。
 ある船旅の途中、この家来は眠っている百合若大臣をいかだに乗せて海に流してしまいます。大臣が目を覚ますといかだは、宮古の水納島についていました。当時の水納島は無人島で誰も住んでいませんでした。百合若大臣は、携えていた六尺の刀が五寸の短さになるまで貝を掘って食べ、貝の殻にためた水を飲んで生き延びていました。

  百合若大臣が毎日海を見て暮らしていると、大きな船が島の近くに見えました。 大臣は岩に上がって声をかぎりに叫びます。船員は大臣の姿に気づいて島に近寄ってきたました。しかし大臣の髭はボウボウで、着物は着物とは分からないほどボロボロでした。船員に化け物だと思われなかなか乗せてくれません。それでも百合若は「私は、人間です。どうか助けて下さい」と懸命に頼んだので、ようやく船に乗せてもらって都に帰ることができました。
 やっとのことで、自分の住んでいた屋敷たどり着いた大臣。中に入ろうとすると門番は大臣の変わり果てた姿を見て中に入れてくれません。大臣はどうにかして屋敷の中に入に忍び込みました。屋敷の主人となっていたのは、自分を島に流したかつての家来でした。


 百合若大臣は屋敷に保管してあった鎧を着て兜をかぶり、刀を持つと、「私のことを忘れたか」と家来に問いただしました。大臣は家来を倒すと、閉じこめられていた妻を助け出しました。再会した2人はその後幸せに暮らしました。
 今も多良間島では朝寝坊の人をユリワカデーズといい、水納島にはこの伝説の鳥塚があります。

海賊キッドの財宝伝説

大神島は、宮古島の北部、島尻漁港から約4kmにある 円錐形の小島です。神秘の島としても知られています。旧暦の9月から10月にかけて行われる「祖神祭(うやがんさい)」は島外の人々には観ることができません。祭について語ること自体もタブーとされています。ツカサという神事に携わる女性たちが何日も御嶽にこもり、豊穣を願って祈りを捧げるといわれています。島民であっても祭の期間中、行動は制限されているようです。集落以外の大部分は「聖域」とされていて、その「聖域」に足を踏み入れた人は後日、奇怪な死に方をするいうことです。 ディープな沖縄旅行にオススメの島ですが、くれぐれも聖域には立ち入らないでくださいね。
さて大神島には海賊キッドの財宝伝説が語り継がれています

 17世紀半ばの頃、大神島に、見たこともない大きな外国の船がやってきました。 その船を最初に見つけたのは、大神島に住む2人の兄弟でした。2人は恐ろしくなって洞窟の奥に隠れてしまいます。その大きな外国の船から外国の船員たち島に上がると、島の家々を襲い、食べ物や家畜を奪うと、島の人たちを殺してしまいました。船がいなくなると、兄弟が洞窟の外に出てきました。しかし、島人はみんな殺されてしまっていて、生き残ったのはこの兄弟2人でした。この2人の子孫が現在の島民の先祖になったということです。

 さて海賊 キッドとは本名はウィリアム・キッドといい、1696年から1699年に海賊行為を重ね、1701年絞首刑にされた実在の人物です。スコットランド生まれの元商人で、海賊を取り締まる役でしたが、そのうち自身が海賊となってしまいます。略奪した財宝のほとんどは無人島や人気のない海岸の洞窟に埋めたと言われています。キッドが財宝を隠したといわれている島は、大神島や宝島をはじめカリブ海、インド洋上の島、ベトナムの2つの島など世界中にあります。アメリカのガーディナーズ島やカナダのオーク島では、実際に宝探しを行って金貨などが発見されています。

  1966年に新聞で、財宝の隠し場所を大神島とした記事が掲載されたことから、多くの人が財宝を求めて大神島を訪れました。立入禁止の聖域を荒らすといった出来事が相次ぎました。関係者の間で原因不明の病気や事故などが連発したことから 、神聖な島を荒らした祟りを受けたと伝えられています。

宮古島の始まり

宮古島の民話

 沖縄旅行でも近年人気の訪問先宮古島。宮古島は、沖縄本島よりさらに南西に約290km離れた場所に位置しています。沖縄県内では、沖縄本島、西表島、石垣島に次いで4番目に大きな島です。また、宮古島は宮古島諸島のなかでいちばん大きく、宮古島諸島には他にも、宮古島、池間島、大神島、来間島、伊良部島、下地島、多良間島、水納島があります。

 1317年の中国元の時代の歴史書に初めて宮古島の名が登場しています。このころ宮古島では多くの豪族がいて、権力争いを繰り広げていたようです。さて、宮古島の始まりとしてこんな神話が残されているようですよ。

「宮古島の始まり」

大昔、天地が定まらず青海原の波はゆらぎゆらいで宮古島の形もない時、天の御国なる天帝(あめのてだ)は天の岩柱の端を折って弥久美神(やぐみのかみ)に授け、「下界の風水のよい所にこれを投げ、入れて島を造りなさい」と命じました。
弥久美神が、天に掛かる虹の上から青々とした大海原に投げ入れると、 岩柱は固まって宮古の島ができました。天帝はその島に赤土を下し、古意角(こいつの)という男の神に、「下界に下りて、あの島に美しい人の世を建て守護神になりなさい」と言いました。古意角は、早速下界に出発しようとしましたが、その前に天帝 に言いました、
「我に足りないもう片方の身体をください」と。天帝が、
「五体すべて揃っているのに何が不足なのか」と問うと、古意角は、
「すべて陽があれば必ず陰があり、陰があれば陽があります。」と申し上げると、天帝は、
「なるほどそれなら姑依玉という女神を連れて行きなさい。」と言いました。

古意角・姑依玉の両神は、豪勇の盛加神(もりかのかみ)を始め、多くの神々を従えて天の夜虹橋を渡り、七色の綾雲に乗って地上に降りました。彼らは漲水天久崎(ぴゃるみずあめくざき)の地に宮居を定め、宗達(むにだる)・嘉玉(かだま)のという男の神と女の神を生みました。ところが、宮古島は赤土ばかりで、作物がうまく育ちません。天帝は黒土を下すと、それから は五穀が良く実り、食物に不自由しないようになりました。
十幾年かが過ぎ宗達、嘉玉が大きくなった頃、天帝が古意角、姑依玉 に言いました。c

「お前達は、人の世の続くかぎり末長く島建ての神と崇められ、お前達の世は天に輝く太陽のように栄えるだろう」そして、紅葉を身にまとった木装神(きふそうのかみ)という男の神と、青草を身にまとった草装神(ふさふそうのかみ)という女の神を使わせました。古意角、姑依玉は喜んで、宗達には草装神と結婚させ、嘉玉 は木装神と結婚させました。宗達神夫妻には東仲宗根の地を与え、嘉玉神夫妻には西仲宗根の地を与えました。やがて宗達神は世直真主(よなねしのまぬず)という男の子を 、木装神は素意麻娘司(そいまらつかさ)という女の子を生みました。こさらに子孫が増えて宮古島の住民になったということです。